しつけか体罰か タイの学校と子育て事情

学校に訪問する機会が度々ある。
タイの学校には、木の棒がある。
実際に私が学校に訪れた時に、木の棒を振りかざす様は見たことがないが、先生が生徒にと対し、言うことを聞かないと振りかざすぞ!と言う光景は見たことがある。
学校に派遣されている隊員に聞けば、実際にそれで叩いたとしても「ペチッ」というほどらしい。
日本の昭和=途上国の現在 なのか?

日本でも20年前くらいまでは、先生が罰と称して生徒を殴る光景は普通にあった。
実際に、何の理不尽かわからないが私も中学生時代に教壇の前に立たされゲンコツを食らったことがある。
今思えば、20代中盤の経験の浅い担任教師が威厳を保てる術がそれしかなかったのではないかと思う。
英語の教師だったその担任のせいで中1から英語が大の苦手になった私が、今や海外生活をしていることをその担任に知らせてやりたいくらいだ。あなたの教えに寄らずに、ここまで成長することができましたと。
その20年前の日本と現在のタイの教育環境が同じなのか?
しつけの観点で言えばその「古い?」というかそういう考え方がまだ残っているのは確かなようだ。
3歳の孫を叩くおばあちゃん

私はクリニックの発達外来で週に一度、活動をしている。
そこである日見られた光景だが、走り回って言う事の聞かない3歳児に対しそのおばあちゃんは手を挙げた。
一度は叩く素振りを示して止めたが、それでも走り回り続ける子どもを食い止めようとおばあちゃんはこどもの頭と尻を叩いた。
それでも子どもは止まらない。
明らかにその子は多動性の障害を抱えている。叩いても止まらないのだ。
その子の母親も一緒にいたのだが、母親は傍観しているだけだった。ただ、一緒になって叩こうとはしていなかった。
タイの間でも、しつけの方法に関して世代間ギャップがあるのではないかと感じた。
このおばあちゃんに対しては、障害を理解しながらの子育ての方法を説明していく必要はあるのではないかと思ったが、これは途上国に限ったことではないとも思った。
日本で障害を持ちなかなか静止が効かない子には、やはり痛みを持って伝える方法を選ぶ人はいるだろう。
例えば、アフリカのある国に行けば、幼稚園の先生が棒で園児を叩く事は日常茶飯事らしい。
ただ、国の教育方法が違うだけではなく、同じ国の中であっても世代による考え方が違うということもあるのではないかと感じる。
タイ最大級のスラム街で子ども達と遊んだ日
いわゆるスラム街と呼ばれる所である。
今回訪れた目的は、子供たちに日本の文化「けん玉」を伝えるためであった。
いつだって子どもはピュアなんだ

スラム街というイメージをどう持つだろうか?
怖い?汚い?貧しい?
いろいろなイメージを持つかもしれないが、百聞は一見に如かずである。
ぜひ機会があればいろいろと世界を見て感じてもらいたい。
自分の想像が正しいのか間違っているのか、それ以外にも実際スラム街に行くことで、触れ合うことで感じることはたくさんある。
もちろん、安全性を事前に調べてから行くことは必須であり、日本とは違う事は知っておいてほしい。
このクロントゥーイ地区は、シーカーアジア財団という日本からの団体が支援を行っている地域である。
私が実際、この地区の子ども達と触れ合って感じた率直な感想は、子どもの笑顔はどの国でもどこに住んでいても一緒であるという事である。

もちろん、ただの1時間の滞在ですべてを知った気になってはいけない。
そこには自分の知らない闇が隠れているはずであるから。
しかし、表面上でも自分と関わった子ども達が笑顔で、そして日本人に興味を持ち、一緒に遊ぶことを楽しむことができて良かったと感じる。


けん玉で楽しんでもらう!のが目的だったが、子どもの興味なんてものの10分で、すぐに飽きてしまう子もいた。
私は、ウクレレを持参してきたのだが、それに興味を示す子もいて、良い時間を過ごせたと思う。
聞けば、そのウクレレに興味を持った子はギターを持っているそう。

スラムと言えども、興味関心が持てる遊び道具、楽器などは一通り持っている家もあるのだ。
ただ単に「貧しい」から「スラムで生活している」わけではない。
親の仕事がスラム内にあったり、スラムから近くにあったり。
ちゃんと収入を得ているものの、スラムの方が家賃が安いから住んでいる人だったり。
まだ、表面しか知らないので、「他の地域と変わらないなぁ」という目線で記しているが、もっと深く知るとまた違う感想を持つかもしれない。
スラムには、ミャンマー、ラオス、カンボジアなどタイ国外からの移民も住んでいる。
スラム内には、そのクロントゥーイ地域の人しか入れない学校もある。
話を聞くと根深い差別も見られるようである。
ただこの日は、子ども達の笑顔で癒された日、充実した日であった。

海外に住んで納得した独身おじさん友達いない問題
おじさんになってからの友達ってホント難しい

少し前に日本で話題になった「独身おじさん友達いない」問題。
詳しくは↓参照。
海外に移り住んで半年、改めてこの問題について感じることがあった。
私は海外ボランティアとして2年間タイに居住する予定(半年経過)だが、せっかくの機会なのでたくさんタイ人の友達を作ることができればいいと思っていた。
そしてタイに来る前はなんの根拠もなく、新しい環境でタイ人の友達がたくさんできるものだと思っていたのだが、実際には難しいと感じる。
※(ここでは友達を一緒に遊びに行く気の通い合った人とする)
職場で同僚と話しをして盛り上がることはあるし、昼ご飯を一緒に食べることもある。
連絡先を知っている人も数十人いる。
ただ、休日に一緒に遊びに行くとなると話はまた別で、ハードルが上がるように思える。
これは日本にいてもタイにいても一緒だ。
友だちを作るためのおじさん自己分析
「おじさん」を40代以上の男性、「友達」を「連絡を取り合って休日に遊びに出かける」と定義して、タイ生活での出会いを考えてみる。
1.おじさん×おじさん
おじさんがおじさんと知り合う場面は仕事上が多い気がする。ただ、その知り合った人と「週末にでも旅行に行きましょうか?」とはなりにくい。
予想できる状況は、仕事終わりに「今度飲みに行きましょうか?」であって、これは仕事の延長線上の飲みまである。
2.おじさん×女性
おじさんが女性と知り合ったとしても、おじさんから連絡先を聞くのは、いろんなハラスメントが叫ばれる中、日本では特に難しい。
タイでは日本ほどハラスメントが多いとは思わないが、例えば何かの目的があって(目的をこじつけて)連絡先を聞いたり、仲介役がいたり女性側から聞いてくれないとなかなか発展しないと思う。
ということはおじさんは女性と知り合う時にほぼ受け身の状態、女性側が連絡先を聞きたいと思わせるほどの魅力を持ち、女性が連絡先を聞いてくれるのを待たなければ友達になれない。
3.海外ボランティア×受入国の人々
他の隊員の様子を見ていて思うのは、現地の人と仲良くどこかに遊びに行くのは、女性同士(女性隊員×同僚)の方が多い気がする。
これはインスタグラムの情報なので、そもそもおじさんに比べて女性の方が投稿している確率が高いだけかもしれないし、人間関係のすべてを投稿しているわけではないかもしれないが。
ただ、女性隊員からの方がいろいろと遊びに行っている情報を聞くのは事実である。

海外で友達を作る案
やはり、おじさんが海外に行ったとて、友達をなかなか作れないことに変わりわない。
しかし、海外ボランティアという立場になった今、ちょっと勇気を出せば一歩道が開ける可能性もあると感じる。
おじさんは、より積極的でなければならないし、より紳士でなればならない。
これは受け身かもしれないが、寂しさを押し出し友達を作りたい感を出しながら、ガツガツし過ぎないようにふるまうと、友達ができるというのが結論。
実際に私はそのスタンスでタイ人の友人ができ、遊びに出かけるようになった。


また、海外協力隊のいいところは、ボランティア派遣の前に語学を中心として訓練を行う合宿があること。
ここで出会った同士は一生の友と言われることが多く、それぞれの国に派遣されてもその繋がりは深いものがある。
隊員の多くは帰国後もつながりを持っているらしい。
ということで、友達のいない独身おじさんは海外協力隊に応募するべきだと思う!
今までの何十年分の地位とお金をなげうってボランティアに参加するなんて・・・と思うかもしれないが、そのまま会社勤めで定年まで過ごした後が暗いことを考えると、海外協力隊の2年を過ごす方がよっぽど将来的に有意義だと考えるのは自分だけだろうか。
会社を辞めなくても海外協力隊に参加できる制度もあることだし。

タイの小学校の勉強は日本と違う!?
タイの小学校に訪問

先日、タイの小学校に訪問する機会があった。
所属先の病院から車で15分ほどの場所にあるその学校は、周りが木が生い茂っている自然豊かな田舎の学校と言った感じで、300人ほどの生徒がいた。

見たところ1学年1クラスと言った感じ。
教室には先生がいて大半の生徒は座っているものの、一見、授業時間なのか休み時間なのかわからないくらい、席を立ったり、外に出ている子がいたりと自由だなぁと思えた。
自由と言うと聞こえがいいがちょっとだけ心配になった、学級が崩壊しているわけではないよね?大丈夫だよね?と。
よくよく考えてみると、日本のように授業の始まりや終わり、休み時間を知らせるチャイムがなかった。
でも、生徒も先生もにこやかなのでこれで成り立っているのだろう。
タイ人は怒られることを嫌うと聞く。
学校で先生が生徒を怒鳴りつけたり、他の国の隊員から聞くような先生が木の棒で「しつけ」と称し叩くような光景は見られなかったのでホッとした。
いい意味で自由な校風なのだろう。

タイの授業科目

学校の先生へいろいろと質問してみると、日本との違いも見えてくる。
質問はしたものの、返答を100%理解できるほどのタイ語をまだ持ち合わせていないため、聞き取れたものだけ紹介する。
Q:「どんな授業をしていますか」
A:
と、様々な授業はあるがほとんどは日本と同じ。
しかし、授業科目にボーイスカウトがあるのは面白いと感じた。
日本にはない面白い授業もあるんだと国の教育の違いにも触れることができた。
この中に「社会」がないのだが、もしかしたら聞き取れていなかったのかもしれない。
あと、「音楽」についてはビデオで学習するとのこと。
日本では当たり前のように、先生がピアノやギター等の演奏をしていたが、そのような楽器を演奏できる先生は居ないよう。
となると、自分が学校に訪問してウクレレを弾き語るという需要もあるのかな?とも思えた。
実際に同僚が「彼はウクレレを弾けるし、タイ語の歌を歌うことができるんですよ」と話をしてくれて、先生はwelcomeなようだった。
また、同一敷地内に小学校のクラスと幼稚園のクラスがあった。
幼小一貫教育という言い方が正しいのかわからないが、幼稚園のうちから小学校の雰囲気も知ることができるのだ。


今回はちらっと見学しただけだが、時間をかけてみるとまだまだ日本との違いはたくさんあることだろう。
しかし、活動の中で少しずつ新しい発見をしていきたいというワクワク感がある。
次に学校に訪問するときはもう少し、幅の広い質問を用意していきたい。
最後に、先生に「制服を見せてあげなさい!」と言われ、「この学校の制服はこんな感じです!」と見せてくれた子と、「マスクを外せば」と言っていた子の一枚。

大人の言うことは絶対!という感じで、先生の言うことには従順な様を見てとれ
タイで田舎生活!普段の食事を紹介
タイで1人暮らしの基本はキッチンなし

JICA海外協力隊員として活動する多くの人たちは自炊生活をしていると聞く。
外食をすると言えば値段が張るイメージがあるかもしれないが、タイにおいては3食とも外食と言う人が多い。
そもそもタイでは、実際に一人暮らしの部屋にキッチンがないことも多く、そもそも自炊できる場所がない。
私の家にもキッチンはなく、自炊する設備は整っていないが、それでも何とでもなるのがこのタイ。
朝の店、昼の店、夜の屋台と時間に応じてちゃんと毎日外食できるようになっている。
外食=高価、贅沢と言う感じの日本であるが、タイの外食は大衆向けのリーズナブルな価格である。
例えば、豚肉と野菜炒めのご飯。
これで40バーツ(約140円)。

焼きそばと豚串。
合わせて30バーツ(約105円)。

一食が大体この値段で食べることができてしまうので、むしろ自炊の方が高くつくとも考えられる。
タイのどこの地域に行っても、タラートと呼ばれる市場や屋台があるので、毎日こういった食事を食べている。
朝・昼・晩の食事
一日の食事例を紹介。
朝:
基本的にパン食。正直、パン屋は少ないし、出勤前からやっているパン屋はないので、前日の夜に買っておくことが多い。

また、セブンイレブンのホットサンドが好きでよく買う。なにしろ、店内で焼いてくれるのがありがたい。
日本と変わらないほどコンビニがいたる所にあってくれてありがとうタイと言った感じ。
また、カオニャオマムアンと呼ばれる、もち米とマンゴーを合わせた食べ物は本来デザートとして食べられるのだが、なにせ容量が多くて、食後のデザートとしては多いので、朝食として食べる時もある。
時間がある土日などは、タイの文化を知る朝食レストランに行ってみたりもする。
DIMSUM(点心)は、タイのスタンダードな朝食の一つ。

大量の皿から自分で好きなものを選べる。
朝からこのような中華のお店に行くタイ人も多く、朝食レストランはにぎわっている。
昼:
仕事のある平日時は、朝やっている屋台で買っていくことが多い。
時々、同僚と一緒に店に食べに行ったりもするが、昼になってから外に出て何か食べに行く事はあまりしないらしい。
なぜなら暑いから。
なんともタイらしい。



どこで何を食べても日本人が好きな味に出会うのがうれしい。
もちろん辛い料理を避ければだが。
職場から家に帰るまでの間に連なる屋台の中で毎日いろいろ吟味し(毎回2~3周はする)、ご飯や果物、デザートを買う。


ドラゴンフルーツとオレンジ
わりと田舎のこの地域でも、屋台の数は50はあるだろう。
毎日選択肢があるのはやはりうれしい。
食べ物の宝庫タイランド
まだまだ食べたことのないタイ料理がたくさんある。
本当に食には飽きない国だと思う。
まぁ一つだけ言えば、日本人にとって料理の大半が辛いと感じる事。
大体の料理に唐辛子が入っている。
果物にも砂糖と唐辛子が合わさったものがつけられてくる。
そこまでして辛いもの食べたいのかと思うが、全然平気なようだ。
大体、お店の人は、外国人は辛い物は苦手でしょう!?とあまり辛くなくしてくれるのだが、それでも火を吹き、汗だらだらになるほど辛い。
ホント感覚が違う。
せっかくだから、ちょっとずつ辛い物に挑戦している。
JICA海外協力隊派遣までの道のり
海外協力隊応募から派遣まで 自身の経験から伝えたいこと

私はJICA海外協力隊として、2022年2月にタイへ派遣され、2024年2月に任期を終えました。
少しでも海外協力隊に興味がある方のために、自身が海外協力隊へ応募してから派遣に至るまでの道のりについて振り返りました。
コロナ過の合格~派遣ということもあって、海外協力隊応募を決めてから派遣に至るまで、実に3年の月日がかかりました。
海外協力隊応募
海外協力隊応募を決めるまで

私が、海外協力隊に応募を決めたのは、2019年2月の事。
当時、医療機関にてソーシャルワーカーの仕事をしていましたが、退職して海外協力隊に応募する決心をしました。
私の職は、1人しかいなかったため、退職となれば後任にすべて引き継がなければなりません。
その期間を考え、2019年5月で退職を希望しました。
海外協力隊の2019年春募集に合わせての考えでした。
(ちなみに両親へは、3月にその気持ちを伝えています。)
勤務先の事務課長からは当初、「辞めないで行く方法はないのか?」と言われました。
実際、海外協力隊には現職参加制度があり、辞めないで行く方法が無いわけではありませんでした。
しかし、自分としては退路を断つというか海外協力隊から帰って来てから学んだことを活かすのに、このまま同じ環境に戻るのは違うと思いました。
その思いを伝えると、今度は「5月に辞めるのでは早すぎる」と言われました。
3か月前に言ってるのになぁ・・・と思いましたが、一会社員としてそういわれると10年働いた情もあり、仕方ありませんでした。
結局、実務は2019年9月末まで続き、海外協力隊2019年秋募集に応募しました。
結果、職場の皆さんがあたたかく見送ってくれてありがたかったです。
退職方法として、明るく見送られるのは大事だと思います。
海外協力隊応募そして合格

2019年秋募集に応募したものの、合格するとは限りません。
では、なぜこのタイミングで退職したのか?
一つには、10年以上のソーシャルワーカーの経験を活かせる要請があったので、合格できる自信があったこと。
もう一つは、合格までの期間を利用して、フィリピンのセブ島へ2か月間留学することを決めていたからです。
セブ島への留学目的は、
- 英語の勉強
- 海外での長期生活ができるかの確認
でした。
この留学によって考えが変わるようなら、また別の事を考えようと思っていました。
結果、自分は海外で経験を活かした仕事したい思いが強くなりました。
英語も、TOEICでいうと100点以上はUPしたので、留学経験は自分の自信となりました。
正直言うともう少し長くいたかったのですが、海外協力隊の2次試験が迫っていたので帰国しました。
そして、2020年2月、2次試験「合格」となり、晴れて派遣前訓練参加が決定しました。
派遣前訓練延期

順調に自分の思い描いたスケジュールかと思った矢先、コロナウイルスが世界中を巡る問題となりました。
そう、ご存じの通り、その時期に世界中に派遣されていた海外協力隊員は全員帰国となり、また、派遣前訓練も無期限延期。
思い描いた予定が崩れたこと、この心のやり場がどこにもない事で、心が空っぽになりました。
モチベーションが著しく低下しました。
しかしそこから思い直し、この期間を海外協力隊で派遣されたときの引き出しを増やす時期にしようと考えました。
それから、高齢者のデイサービスや生活困窮者の相談支援の仕事をしていました。
2021年に入り、ようやく、JICAから派遣前訓練再開のスケジュールが知らされました。
迷わず私は、一番早く訓練を受けられる2021年度1次隊の参加を希望しました。
派遣前訓練(2021年度1次隊)

2021年1次隊として、4月より派遣前訓練を受けることになりました。
コロナ過の訓練は、14日間のホテル隔離、45日間の訓練所生活と通常とはかなり勝手が違います。
(通常は訓練所で70日間の訓練)
ホテルでの隔離期間中は、なかなか同期隊員と対面で会えないことにもどかしさを覚えていました。
そんななか、ホテルのカードキーをなくして冷や汗をかいたり。
(カードキーをなくすほどの自己管理ができていない者は帰ってください!なんていわれるかと思ってました)
そんな隔離期間を乗り越えて、福島県にある二本松訓練所での生活となりました。
ようやく対面で同期訓練生と会えたこと、タイ語を学ぶことの楽しさと困難さを共有できる時間はなんとも楽しい毎日でした。
課業後には体を動かして・・・
これが、2021年の自分のNo.1事件でした。
体育館で体を動かしていた時に、アキレス腱断裂。
訓練所に来て10日弱、まだ1か月以上を残してのことでことでした。
急に、閉ざされた2021年1次隊の訓練は、将来への絶望感と自分へのやるせなさでいっぱいでした。
訓練中止~リハビリの日々

地元に戻ってきて、まず、手術を受けました。
選んだ整形外科が非常に親切で理解のいいクリニックで、入院せずに手術後即帰宅し療養とリハビリ生活を行えました。
と言っても、この先の未来が急に何もなくなったので、毎日ぼーっとしていました。
一応、タイ語の勉強をしてみましたが、頭に入るわけでもなく。
1次隊の同じくタイに行くメンバーは訓練所からいつも気にかけて連絡をくれました。
ほんと人に恵まれているなぁと思いました。
それでも、そのメンバーが訓練を終えたことを聞いたときはちょっと寂しくなりました。
彼らは先にタイに行き、自分だけが取り残されるのだと思ったからです。
しかし、2021年1次隊メンバー訓練所を卒業してもコロナの影響でなかなか派遣に至らない日々を送っていました。
それぞれが悶々としていたのです。
自分はというと、地道なリハビリを重ね、2か月ほどで普通に歩行できるようになりました。
ようやく自分の気持ちも上に向いてきたところで、訓練を再開できる事が決まりました。
今度は、2021年4次隊として。
派遣前訓練(2021年4次隊)

2021年4次隊の派遣前訓練は、10月~12月の年末までの期間で行われました。
本来、タイに派遣される隊員は二本松の訓練所で訓練を受けるわけですが、この隊次においては23名ということもあり、長野県にある駒ヶ根訓練所での訓練となりました。
コロナ前は約200名、2023年度などは100名以上の訓練生が集っていることを思うと、23名というのはいかに少人数だったかと言えます。
それ故に、落ち着いた雰囲気で、静かな環境で過ごすことができました。
訓練生にとっての一番の難関、涙を流すもの現れる語学訓練ですが、私に至っては前回の経験からタイ語を勉強する時間がたっぷりあったこともあり、訓練中の語学についてはほとんど心配してませんでした。
それゆえ、語学訓練を行う訓練生の負担を減らそうかと、班のリーダーに立候補しました。
日中は語学訓練の他、海外で生活する上での注意事項が盛り込まれた講座などが続きます。
短いようで長いようで短い45日間を終え、訓練を無事終えることができました。
一番は怪我に気を付けました。
何と言っても、もう2度と怪我で訓練途中に帰ることはしたくなかったからです。
もし、海外協力隊を希望している人は、はしゃぎすぎに注意しましょう。
いろんな思いを抱える海外協力隊待機者へ

コロナ過で当初の予定が大幅にずれました。
自分の将来設計が大きくずれてしまった人もいるでしょう。
コロナに嘆く人もいるでしょう。
先に活動をしている協力隊員をうらやましく思う人もいるでしょう。
自分の今の立場に不安と戸惑いを感じている人もいるでしょう。
それでも、一度目標にしたその思いを持ち続ければいつかは叶います。
世界はあなたを待っています。
悶々をする時期を過ごした私も、必ず自分が目指した明るい未来があると信じてここまで来ました。
だから、今はその思いの灯をほんのりでもいい、持ち続けてみてください。
共に、世界で輝く人になりましょう。
これから海外協力隊を目指す人へ

海外協力隊経験者が書くブログやSNSで観る光景は非常に輝いて見えます。
目にする物が100%海外協力隊を表していないかもしれません。
それでも、この海外協力隊での2年間の経験は、人生の中で必ずかけがえのないものになると私は思います。
海外協力隊になるためには、一歩勇気を踏み出すことです。
そうすると、考えをともにする仲間に出会え、あなたの力を必要とする世界中の人々に出会え、自分を応援してくれるたくさんの人々に出会えます。
タイ人100人に聞いた「あなたの幸せとは?」~海外協力隊活動の最終章~

2年間の海外協力隊ボランティア生活を終えた。
最後には後輩隊員向けに帰国報告会を行ったのだが、そこで何を伝えるべきか活動最後の1か月は非常に考えを巡らせた。
結果いきついたのが、自分が関わったタイ人100人に「あなたにとって幸せに必要なものは何か?」を問い、その結果を発表するというものだった。
| 1位 | 2位 | 3位 | 4位 | 5位 | 6位 | 7位 |
| 健康 | 家族 | ボランティア | 精神的なゆとり | お金 | 笑顔 | 友達 |
↓(参考)日本人の「あなたにとって幸せに必要なものは?」ランキング
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000014.000108703.html
100人への聞き取りって思ったよりしんどくて

インスタグラムで見た他の国の隊員が、生徒たちに「幸せと感じるのはどんなときか?」というものを参考にしようと思ったのは活動終了1か月前。
高齢者介護の職種ということで、高齢者を中心とした100人に質問していこうとしたのだが、これが思ったよりしんどかった。
100人に会い、一人一人に質問を行っていくことは意外と大変なことなのである。
それでも、1つの会議やクラブがあれば、積極的にホワイトボードを片手に走り回り質問した。
思い返すと、そんなにしっかりと会話をしたことが無い高齢者たちもいた。

この「あなたにとって幸せは何なのか?を100に質問しなければいけない」という自分へのプレッシャーがいい意味で今までにないコミュニケーションを生んだ。
こんなことなら、もっと前から質問を用意してコミュニケーションを図ればよかった、なんて思うのは往々にして活動の最後なのである。


思わる副産物と100人に質問した結果に辿り着いたもの

在宅訪問の時にある高齢者の患者にも質問した。
その患者は、自分が挨拶しても、一緒に行ったタイ人看護師が話しかけても言葉を発しなかった。
この患者には質問することは無理かななんて思いながらも、「あなたにとって幸せに必要なものとは何ですか?」と書かれたホワイトボードを渡し、書いてもらうよう説明した。
すると、しばらく悩みながらも患者はペンを走らせ始めた。
「ラジオ」
その文字を見た時、横にいた患者の家族が、「ラジオで歌を聴くことが幸せなのかい?」と患者に聞いた。
その患者はうなづいた。
家族は、「そんなこと思っていたなんて聞いたことなかったわ」と言っていた。
どうやらこの質問ツールが、家族も知らない患者の趣味嗜好に気付くことができる最適ツールになっていたようだった。
こんなに使えるアイテムだったなんてと改めて気づかされた。もっと早く気づいていれば、いろんな患者に質問できたし、コミュニケーションの幅が広がったのにと思ったのだが、それも後の祭りだ。
このエピソードを、一緒にいた看護師が他の同僚にも伝えてくれていたようで、嬉しかった。
自分が動いたことで患者と家族のコミュニケーションが生まれた、同僚も認めてくれた、自分がこの地域に存在した意義があったと思えたのだ。

自分にとって「幸せに必要なものとは?」
自分自身もこの問いに対し最初から答えを用意していた。
自分にとって幸せに必要なものとは、「笑顔」である。
自分が笑顔でいる事、自分と関わったみんなが笑顔でいる事こそ幸せと思える根源かと感じる。
一人でも多くの人を笑顔にしたいがために、仕事をし、コミュニケーションを図り、時には困っている人を助ける。
これぞ自分の人生だなと、改めて思えた活動の最終章。