30代おじさんJICA海外協力隊でタイ生活

30代後半から海外転職を考え辿りついたJICA海外協力隊。海外ボランティアとしてのタイの2年間の記録。

過去の日記から~現地に住むと語学は成長するのか!?~

タイに住んで1年半、過去の日記を読み返すことで、今の心情と照らし合わせてみる。

1年半後のタイ語

2022年5月19日

朝9時半。いきなり、副院長が 「パイティーアオマイ?」(旅行に行く?)と言ってきた。なんのこっちゃ・・・土日どこか行った?っていう事かと思ったら、「これから行くよ!」とのこと。 どこに行くのかわからないまま、1時間近くカウンターパートの車に乗ってたどり着いたのは、病院だった。車中で本当に、カウンターパートと副院長と旅行に行くのかと思ってしまったが、病院で行われている講演の参加だった。 きれいな病院でいいなぁ・・。ぐらいの感想では活動していると言えないので、ちゃんと講演内容を聞いてみた。 ふむふむ、HbA1Cと体重の減少をしたよ!という症例報告であることはわかったが、なぜどうやって数値が下がったのかはわからない!何が重要な因子なのかが理解できない。 やはり、講演を理解できるほどのタイ語能力がないことを知らしめられた。 しかし、もうちょっと行けば、カオソック国立公園というこの県で有数の観光スポットまで行けたな。でも、山合いの雰囲気を味わえただけ良いとするか。

日記より

2022年9月5日

1泊2日、ずっとタイ人の友人とタイ語で会話していて、あまり途切れずに終始楽しく、冗談も言えるほど話し合えたので、タイ語力が上がったと思っていたが、今日職場で同僚とタイ語で会話しても、まぁまぁ話が分からなかった。 やっぱ聞き取り易い発音があるのと、聞いてくれる人の理解力の差によって会話ができるかできないかがあるのか。 はたまた、旅行したタイ人の友人の察する能力が高すぎるのか・・・。謎。

日記より

タイで生活して半年たった頃、タイ語力が伸びずに活動先で同僚が言っていることがわからない毎日を過ごしている中で、タイ人の友人と行った旅行の時に会話が弾んだことがうれしかった記憶。

それから、タイに来て一年半経った現在、語学力はというと、急激に上昇したわけではない。

しかし、ある程度どこに行っても困らない程度には会話できている。

怒ることだってできるし、冗談を言って笑うことだってできる。

ただ、会議になると眠くなるのは、長尺のタイ語について行けなくて集中力を失うからだ。

人は、言葉が伝わらなくても、状況を考えて何が言いたいのか、何をする予定なのか察知することができる。

ほんと、人間ってすごいと改めて気づかされる。

最近、幼稚園に行くことが度々あるのだが、先生の話は5歳児の方がよっぽど理解している。

自分の語学力なんて5歳児以下なのだ。

それでも、全然生活できている。

これから、海外協力隊を目指す方、そして語学に不安がある方、そもそも語学はコミュニケーションツールであって、語学に頼らなくてもなんとか海外生活はできてしまうということを伝えておきたい。

恐れることは無い。

この時代、なにかあればGoogle翻訳が助けてくれるのだ!!

市で初めてのデイケア開所式でタイ高齢者介護の地域格差を知る

 

私が住む隣の市で初めてとなる高齢者デイケアセンターが開設したので、開所式に参加した。

日本では、高齢者のデイサービス(高齢者たちが日中に通う場で、アクティビティや運動、入浴、食事などができる場所)は、日本全国どこにでもあるが、タイではまだ無い市町村の方が大半だ。

高齢者デイケアセンターが開設されるだけで画期的な出来事なのだ。

タイの高齢者事情

タイは日本以上に急速に高齢化率が上がっている。その中で、高齢者に対する支援体制はまだまだ不十分な点が多い。

日本とタイの高齢化率の推移比較。(数字は高齢化率)

国/年度 2010 2015 2020 2025 2030
日本 23.0 26.6 28.9 30.0 31.2
タイ 8.9 10.6 13 16.2 19.6
資料: UN, World Population Prospects: The 2019 Revision

タイでは、市が中心となり高齢者介護支援の体制を整備する必要性を感じながらも、実際にはその整備体制は自治体によってバラバラである。

このようなデイケアセンターができるとなれば、先進的な事例として紹介されるのが実情である。

人口約2万人ほどの市であるが、こういった支援体制を構築することが可能なのである。

開所式はタイらしく、大々的なセットを作り一大イベントとして盛り上げられていた。

実際に活動の場面を見学したのだが、この内容についてはまだまだ検討する余地はあるだろうと正直思う。

しかし、まずはこのような建物があること、通える場があることはこの市に住む高齢者にとって大きなことだと思う。

これまで、私は在宅の家庭訪問を80件以上してきた中で、日中何もやることがなく横になっているだけとか、ぼーっとしているだけという高齢者をたくさん見てきた。

このように通う場があるだけで、本人にとって刺激があり認知症予防効果にもなり、他の人とのコミュニケーションの場も広がり、介護する家族の負担軽減にもつながりといろいろな効果が期待できるのだ。

もちろんそこでの内容も重要になってくるが、まずは一歩進んだ市として今後のタイ国内の高齢者支援策の見本になればと思う。

デイケアセンターの開所式の後、その市に住む高齢者の家に訪問した。

その中で、車いす移動の介護を必要とする方がいた。この方はまだ、デイケアセンターの利用は難しいとのこと。その理由は、車いす専用の送迎車が無く物理的に通うことができないとのことである。

このようにまだまだ課題があるようだが、一つずつ問題をクリアして高齢者が少しでも長く笑顔でいららる街を作ってもらいたいと願う。

タイの幼児教育はどんな感じ?

最近、タイの幼稚園に訪問することがある。

その中で公立の幼稚園と私立の幼稚園、両方とも訪問する機会があり、双方を比べてみるといろいろ気が付くことがあったので考察する。

整列に見るタイの公立幼稚園と私立幼稚園の違い

日本では公立の幼稚園であれば「自由でのびのび」、私立の幼稚園であれば「独自の幼児教育」といったイメージであるが、簡単に言うとタイでも同じことが言える。

公立の幼稚園では、自由に走り回り遊んでいる子どもたちが目に付く。

私立の幼稚園では、例えばボールとカラーコーンを使って目的に沿った運動を行っているのを見た。

私が、幼稚園に訪問しているのは衛生教育のためで、一人一人に体を清潔に保てているか爪の長さや形、耳垢、虫歯、頭のダニやシラミ、皮膚アレルギー等があるかないかを診ていく。

一人一人を診ていくために整列してもらうのだが、その整列に公立と私立で差が出ているなぁと感じた。

公立の場合、自由でのびのびと育っているがためか、幼児が規律を守った整列をするのはなかなか難しいように見えた。

何度か先生が呼びかけることでようやくなんとなくまっすぐに並ぶことができるのだ。

そしてあまり待てない。

一方、訪れた私立の幼稚園は、先生の一言できちんとした整列(日本で見るような)や一同で声をそろえた感謝の言葉「ありがとうございました」などは揃って言うことができる。

教育の差がどこにあるかは短時間訪問しただけでは計り知れないが、一つに先生の能力にも関係しているように見える。

この私立幼稚園では、幼児期からの英語教育も行われているようで、それにはしっかりとした英語教員がいるという事である。

中には、タイ語はほとんど理解できず、英語だけを話せるという子どもがいるのだが、それでも受け入れられるのが私立なのだと思う。

日本人にできてタイ人にできない?

幼稚園を訪問していて思い出したのは、以前、村の小学校を訪問した時に先生が、「日本人はきれいに整列できて素晴らしい。タイの子はなかなかきれいに整列できない」と言っていたこと。

この先生が教えているのは公立の学校である。

「タイ人はできない」のではなく、公立と私立の教育の差によって「整列ができない」ことが生じるのかなと、改めて思った。

どちらが良いとか悪いとかではない。

公立ののびのびとした雰囲気で学ぶ教育も自分は好きだ。

公立か私立かを選ぶにはやはり金銭面が関わってくることなので、やはり「教育=お金が必要」と感じざるを得ない。

親にお金があれば高度な教育を受けられて収入の高い職業に就きやすい、親にお金が無ければ基本的な教育は受けられるが就く職業は限られてくる。

これが途上国の貧富の差が連鎖する理由なのかなと改めて思う最近である。

タイに住む首長族に会ってみた!

首長族は決して見世物だとは思わない!

首長族の村に行き、村で生活状況を見て、彼らと話した結果、私はそう思った。

チェンマイの奥地で暮らす首長族の実態

先日、タイのチェンマイに行った。

目的はボランティア隊員がチェンマイに住んでいるため、そのボランティアの活動先を訪問することである。

チェンマイで行きたかった先の一つが首長族の村である。

幼少期(30年以上前)にテレビで見た、「首に輪っかを着けた遠い国の人達」の光景は今も忘れることがない。

そんな初めて感じた海外の、その人たちに会える機会があるならと、首長族が暮らす村にへ行くことにした。

事前に調べた口コミでは、評価が低い。

・入場料500バーツ(約2000円)は高い

・お土産物を売っているだけ

・作られた笑顔だ

など、一回行ったら十分だという口コミが多数みられる。

500バーツ(約2000円)を払い村の中へ入ると、そこは長閑な景色が広がり、静かな空間にお土産物屋が立ち並んでいた。

その土産物はほとんどどの店も一緒の物を売っている。

積極的にコミュニケーションを取り、買うように勧めてくる人はいなく、商売っ気は無い感じである。

ただ、観光客が声をかけ写真を撮ろうとすると素直に応じてくれる。

村の中はゆっくり周っても30分ほどで見れてしまう広さである。

ここまでで思うのは、お土産物を見て、写真を撮って帰る。のであれば、確かに500バーツ(約2000円)を払うのは、高いと感じるかもしれないということ。

しかし、自分が考えるのは、この村から何を感じ取るのかということだ。

ただの観光地以上の何かを感じる大人の修学旅行

一人の女性に話しかけてみた。

すると、彼女は日本語を少し話せることが分かった。

さらに彼女は「600は日本語で何て言うの?」と聞いてきた。

ここで旅人の日本人による首長族への日本語授業が始まった。

どうやら彼女は、語学に興味を持っているようで、外国人とのコミュニケーションに対する壁はないように感じる。

彼女といろいろと話してみると、無垢な笑顔や探求心は村の外に居るタイ人と変わらないように思う。

決して見世物としてこの村でネガティブに生活している感はなく、観光業を生業として異文化コミュニケーションもできるこの環境での生活に誇りを持っているように思えた。

昨今のコロナウイルスの影響による観光客の減少などについても話した。

様々なことを感じることができるのは、私がタイ語を話すことができたからだと思う。

観光できて、あまり言葉が通じない中で(少しの英語は話せるようだが)、ただの買い物と写真を撮るだけであれば、やはり高いと思うのかもしれない。

ただ、辺りを見渡すだけでもいろいろ感じることができる。

日本人からすれば、この村は昭和初期の様な光景だろうが、みんなスマートフォンを持っているし、子ども達はそれで動画を観たりゲームをしている。

地面に三角座りをして村人通しでおしゃべりしていても観光客が来ればそれを止めて立ち上がるし、横になっていても、観光客が来ればムクッっと急に起き上がる。

首長族という体裁を保つための努力を見ると、村に住む自分自身が観光名所であるということをずっと意識しているように見える。

いろいろ感じることができるのだ。

ここまで書いていて言うのも何だが、この感覚は自身で体感してもらわないとわからないかもしれない。

この観光地に500バーツは高いのか?首長族は見世物なのか?

一度足を運び確かめてもらいたい。

私は、このいろいろな学びや気づきを与えてくれた彼らに対して払う500バーツの入場料は高いとは思はない。

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タイの認知症高齢者介護問題 驚きの田舎事情!?

現在、私は公立病院のボランティアとして活動しているわけだが、週2回は地域に住む高齢者の家に訪問する機会がある。

去年から始めて延べ80件以上訪れている。

その中で、日本とは違うタイの高齢者介護の実情に直面することが度々あったので伝えたい。

寝床は店の中にある

家に訪問すると、そこは板金業を営む家だった。

その店を通り抜けた家の中に、寝たきりの高齢者が居るのかなぁと思っていたら、ふと、その奥でむくっと起き上がる高齢者が見えた。

店の中にベッドが置いてあってそこで生活していたのである。

最初は、この環境は高齢者の体にとって果たして良いものなのだろうか?と不思議に思った。

扉の無い外が丸見えの部屋は、朝晩の気温差や常に虫が飛び交う等、高齢者が生活する上での衛生面を考えたら良いとは思えなかった。

しかし、プラス面で考えると、家族が仕事をしながら常にその高齢者に気を配れる場所であること、店を訪れる客とその高齢者がコミュニケーションを図ることができるので刺激を与えられるのである。

家の奥で一人ポツンと一日中ベッドで過ごすよりも、店の中にベッドがあるのはある意味では合理的なのかもしれないとも感じた。

4畳半・窓なしで暮らす

認知症が進み寝たきりの状態。

同敷地内で暮らす弟が介護をしている。

タイの場合、家族が多く家族間の結びつきも強いのが特徴で、認知症が進んだ状態でも在宅で家族が介護をしながら生活しているのがほとんどである。

逆に言うと、日本のように高齢者の施設が無いので家族が介護するしかないともいえる。

実際、バンコクを中心とする都会ではそういった施設も増えてきているのだが、タイの高齢者対策には地域格差があり、私が住むこの地域にはそのような施設は無い。

この患者にとって気がかりだったのが、清潔面の問題。

生活している部屋からトイレやシャワーを浴びに行こうとすると、いったん外に出て50m以上歩かなければならない。

歩けないこの高齢者は、今、シャワーを浴びることはできない。体を拭くだけなのである。

もし、日本のようにデイサービス等があれば、シャワーを浴びることも可能かもしれない。

また、一日中狭い部屋にいるよりは、刺激を増やすことができて良いかもしれない。

しかし、この地域にそのような施設は無い。

無職で昼から飲酒の息子に介護される

家に訪問すると、母の食事を介助している息子。

よく見ると、無理やり口にスプーンを突っ込んでいるように見える。

後から確認するとその母親の口は切れていた。

それから尿管の交換のため看護師が準備を始めると、その息子は部屋を出て行った。

全く自分の母親のことには興味もない、むしろ面倒くさいように思える。

息子は看護師の問いかけにも無視、玄関口に座り、何かを吸っている(タバコではないやつ)。

看護師の処置の様子を見ていたが、その患者はオムツをしていないことに気が付いた。

値段が高いからオムツを購入できないという理由もあるだろうが、日本でいうところの不適切な介護と言わざるを得ない。

大きな床ずれもあり、確かに家族の負担はおおきい。

このような状況でも、タイの田舎の場合には入所できる施設等は無く、家族が介護を担い続けていかなければならない。

家族の側に立ってみれば、母親を介護をするために仕事もできない、収入を得られない、ストレスがたまる、いつもでこの生活が続くのだろうという不安が募るという事なのかもしれない。

この状況が改善されるためにボランティアとして自分が何をできるのだろうといろいろ思いを巡らせるが、今できるのは、一緒に訪問した同僚と、日本とタイの介護を取り巻く現状について話合う事しかできない。

いちボランティアとしてできる事に限りはあるが、その中でタイの現状を日本に伝える事、また日本の現状をタイに伝えることも重要な役目だと考えている。

タイの市立小学校でウクレレ弾き語りをしたらめっちゃ盛り上がった件

先日、久しぶりにウクレレの弾き語りを行った。

 

場所は、私立の小学校。

 

病院の職員が小学校に行く目的は、ワクチン接種を行うためである。

 

その付き添いで行った私は、もちろん医療行為をすることはできないので、子ども達に向けて弾き語りをするという提案を受けた。

 

以前は、いろんなところで弾き語りをしていたのだが、その需要も徐々に薄れ、タイ人の前でウクレレを弾き語ることもなくなり早半年。

 

久しぶりかつ急な提案にも、自分の活動が捗るためならと承諾。

 

慌ててウクレレを家に取りに帰り、再び学校へ。

 

学校ではすでに6年生が座って待っていた。

 

こんなに用意周到にされるとちょっと緊張した。

 

先生の号令で生徒たちは、「こんにちは!」と発する。

 

日本人がいないはずのこの地域で日本語で挨拶され少々驚いたが、同時にうれしくなった。

 

日本がここに浸透していると。

 

そして、何を歌おうか考えながら、子ども達とも雑談。

 

自分:「日本のアニメ知ってる?」

生徒たち:「知ってまーす」

自分:「何知ってる?」

生徒たち:「※#$%&」

 

みんな一斉にしゃべりだすと聞き取れない。

 

ここは、タイで誰もが知っているドラえもんの歌で行ってみよう!

 

ということで、久しぶりの弾き語りはアン、アン、アン、とっても大好き、ドラえもん~♪と始まった。

 

先生が拍手を促したことにより、なんとなく盛り上がってきた。

ここでリクエストを募ると、「ワンピース」という答えが。

ワンピースは行けるよ!へへっ!

と、ワンピースの曲を弾き語ると「おー!!」と盛り上がりだした。

日本のアニメの力はすごい!

気をよくして、リクエストをさらに募る。

「東京リベンジャーズ」「ジョジョ」・・・

その曲知らない・・。

というわけで、世界中で知られていそうな、鬼滅の刃を歌ってみた。

 

これまた、「オー!!」「ワー!!」と盛り上がりを見せた。

 

生徒たちと対話をしながら、選曲して歌い、盛り上がることができたのは、自分の中で成長だと感じる。

 

語学的な能力の向上もそうだし、自然と異国の子ども達数十人とやり取りできているなんて。

 

ついでに日本語を教えたりなんかしちゃって。

 

なんか自分、海外協力隊してるじゃん!そう思った日。

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海外でコロナ(COVID19)に罹った日

↑タイの私立病院が豪華すぎる

 

タイに住んで1年3か月余り。

 

これまで頑張ってきたが、ついにコロナウイルスに罹った。

 

病院で活動している割に、初めてのコロナ罹患とはこれまで耐えたのではないかと自分を少したたえておこう。

 

でも、この時期に来るか・・という感じで少し油断していた。

 

体調不良の予兆

発症の1~2日前にかかっている可能性が高いと言うが、その辺で心当たりがないのが、このコロナウイルスの怖いところ。

もう、どこに至って罹るし、もう、何%の人が罹ったのだろう?

症状がないまま経過している人もいるだろうからもうわからない。

 

タイが特別流行っているとかそういう事ではないと思うが、病院にいると毎日何人かコロナ陽性の診断を受けている人の話は聞く。

 

ある夜、のど痛いな・・、あんまり食欲無いな・・なんて思いながら過ごした。

次の日に起きると、だるさ全開。

 

こりゃもう、病院にいくしかないなぁとその日の活動を休むことにした。

ちなみに、活動先の病院と自分が受診する病院は別。

外国人のための私立の病院へ行ったのだが、そこまでタクシーで15分ほど。

 

これがまたしんどかった。

初の病院で何を聞かれるか、何を話せばいいのか不安だったが、職員の人は外国人にも手慣れた感じで対応してくれて助かった。

何より多少なりとも、タイ語が話せて良かったと心底思った。

 

自分の症状も伝えられたし、病院の受診までの流れも理解することができたので不安が減った。

一応、病院へ受診する前に講演検査キッドを買って自分で行ったが、陰性だったのでコロナではないだろうと勝手に思っていた。

風邪かなくらいで。

ただ、医者が念のため「抗原検査やってく?」というので、一応やることにした。

 

そしたら見事にコロナ陽性。

初めてのコロナ、しかし、ちゃんと診断されるとちょっと安心。不思議なものである。

 

現在では、コロナの診断があろうと特に他患者との隔絶はなく、そのまま他の患者の横で薬とかもらうために待つ。

 

もう、インフルエンザなんかと変わらない対応で、誰一人驚きもしない病気になってきているのね。

改めて実感した。

 

さーて、帰りもまた大変。

なにせ、診断されてから急に具合が悪くなってきたように思えるので・・・。人の気持ちの不思議。

JICA事務所に連絡したり、所属先の病院に連絡したり、帰りのタクシーを呼んだり、これから一週間の食料を買いだめようとコンビニに行ったり。

 

そんなこんなで家についてから、急に熱が上がって来て、このタイミングで病院に行っていて本当に良かったなぁと思う。

 

最高38.9℃まであがった熱は、1週間を経て無事に回復。

 

ちょうど1週間で活動を復帰した。

 

しかしまぁ、年齢なのか体力落ちた後のリカバリーがキツイ。

 

座っている体力、しゃべる体力、などが落ちていてしんどい。

 

気をつけようがないけど気を付けよう。

そして、「元気な時に自分の受診する予定の病院を一度見ておく」これはやっておいた方が良いと肌身に染みて思います。

具合悪い時に、説明するのとか、不安を増すのとかしんどいから。

買いだめしたお菓子でおいしいお菓子発見!