30代おじさんJICA海外協力隊でタイ生活

30代後半から海外転職を考え辿りついたJICA海外協力隊。海外ボランティアとしてのタイの2年間の記録。

JICA海外協力隊派遣までの道のり

海外協力隊応募から派遣まで 自身の経験から伝えたいこと

私はJICA海外協力隊として、2022年2月にタイへ派遣され、2024年2月に任期を終えました。

少しでも海外協力隊に興味がある方のために、自身が海外協力隊へ応募してから派遣に至るまでの道のりについて振り返りました。

コロナ過の合格~派遣ということもあって、海外協力隊応募を決めてから派遣に至るまで、実に3年の月日がかかりました。

この記事を書いている人
Kunken

社会福祉士、介護支援専門員資格あり。

ソーシャルワーカーとして、病院、クリニック、老健で10年以上勤務。経験を生かして海外転職を目指す。フィリピンへの留学を経て、JICA海外協力隊として、2022~2024年タイ派遣。

海外協力隊応募

海外協力隊応募を決めるまで

私が、海外協力隊に応募を決めたのは、2019年2月の事。

当時、医療機関にてソーシャルワーカーの仕事をしていましたが、退職して海外協力隊に応募する決心をしました。

私の職は、1人しかいなかったため、退職となれば後任にすべて引き継がなければなりません。

その期間を考え、2019年5月で退職を希望しました。

海外協力隊の2019年春募集に合わせての考えでした。

(ちなみに両親へは、3月にその気持ちを伝えています。)

勤務先の事務課長からは当初、「辞めないで行く方法はないのか?」と言われました。

実際、海外協力隊には現職参加制度があり、辞めないで行く方法が無いわけではありませんでした。

しかし、自分としては退路を断つというか海外協力隊から帰って来てから学んだことを活かすのに、このまま同じ環境に戻るのは違うと思いました。

その思いを伝えると、今度は「5月に辞めるのでは早すぎる」と言われました。

3か月前に言ってるのになぁ・・・と思いましたが、一会社員としてそういわれると10年働いた情もあり、仕方ありませんでした。

結局、実務は2019年9月末まで続き、海外協力隊2019年秋募集に応募しました。

結果、職場の皆さんがあたたかく見送ってくれてありがたかったです。

退職方法として、明るく見送られるのは大事だと思います。

海外協力隊応募そして合格

2019年秋募集に応募したものの、合格するとは限りません。

では、なぜこのタイミングで退職したのか?

一つには、10年以上のソーシャルワーカーの経験を活かせる要請があったので、合格できる自信があったこと。

もう一つは、合格までの期間を利用して、フィリピンのセブ島へ2か月間留学することを決めていたからです。

セブ島への留学目的は、

  1. 英語の勉強
  2. 海外での長期生活ができるかの確認

でした。

この留学によって考えが変わるようなら、また別の事を考えようと思っていました。

結果、自分は海外で経験を活かした仕事したい思いが強くなりました。

英語も、TOEICでいうと100点以上はUPしたので、留学経験は自分の自信となりました。

正直言うともう少し長くいたかったのですが、海外協力隊の2次試験が迫っていたので帰国しました。

そして、2020年2月、2次試験「合格」となり、晴れて派遣前訓練参加が決定しました。

派遣前訓練延期

順調に自分の思い描いたスケジュールかと思った矢先、コロナウイルスが世界中を巡る問題となりました。

そう、ご存じの通り、その時期に世界中に派遣されていた海外協力隊員は全員帰国となり、また、派遣前訓練も無期限延期。

思い描いた予定が崩れたこと、この心のやり場がどこにもない事で、心が空っぽになりました。

モチベーションが著しく低下しました。

しかしそこから思い直し、この期間を海外協力隊で派遣されたときの引き出しを増やす時期にしようと考えました。

それから、高齢者のデイサービスや生活困窮者の相談支援の仕事をしていました。

2021年に入り、ようやく、JICAから派遣前訓練再開のスケジュールが知らされました。

迷わず私は、一番早く訓練を受けられる2021年度1次隊の参加を希望しました。

派遣前訓練(2021年度1次隊)

2021年1次隊として、4月より派遣前訓練を受けることになりました。

コロナ過の訓練は、14日間のホテル隔離、45日間の訓練所生活と通常とはかなり勝手が違います。

(通常は訓練所で70日間の訓練)

ホテルでの隔離期間中は、なかなか同期隊員と対面で会えないことにもどかしさを覚えていました。

そんななか、ホテルのカードキーをなくして冷や汗をかいたり。

(カードキーをなくすほどの自己管理ができていない者は帰ってください!なんていわれるかと思ってました)

そんな隔離期間を乗り越えて、福島県にある二本松訓練所での生活となりました。

ようやく対面で同期訓練生と会えたこと、タイ語を学ぶことの楽しさと困難さを共有できる時間はなんとも楽しい毎日でした。

課業後には体を動かして・・・

これが、2021年の自分のNo.1事件でした。

体育館で体を動かしていた時に、アキレス腱断裂

訓練所に来て10日弱、まだ1か月以上を残してのことでことでした。

急に、閉ざされた2021年1次隊の訓練は、将来への絶望感と自分へのやるせなさでいっぱいでした。

訓練中止~リハビリの日々

地元に戻ってきて、まず、手術を受けました。

選んだ整形外科が非常に親切で理解のいいクリニックで、入院せずに手術後即帰宅し療養とリハビリ生活を行えました。

と言っても、この先の未来が急に何もなくなったので、毎日ぼーっとしていました。

一応、タイ語の勉強をしてみましたが、頭に入るわけでもなく。

1次隊の同じくタイに行くメンバーは訓練所からいつも気にかけて連絡をくれました。

ほんと人に恵まれているなぁと思いました。

それでも、そのメンバーが訓練を終えたことを聞いたときはちょっと寂しくなりました。

彼らは先にタイに行き、自分だけが取り残されるのだと思ったからです。

しかし、2021年1次隊メンバー訓練所を卒業してもコロナの影響でなかなか派遣に至らない日々を送っていました。

それぞれが悶々としていたのです。

自分はというと、地道なリハビリを重ね、2か月ほどで普通に歩行できるようになりました。

ようやく自分の気持ちも上に向いてきたところで、訓練を再開できる事が決まりました。

今度は、2021年4次隊として。

派遣前訓練(2021年4次隊)

2021年4次隊の派遣前訓練は、10月~12月の年末までの期間で行われました。

本来、タイに派遣される隊員は二本松の訓練所で訓練を受けるわけですが、この隊次においては23名ということもあり、長野県にある駒ヶ根訓練所での訓練となりました。

コロナ前は約200名、2023年度などは100名以上の訓練生が集っていることを思うと、23名というのはいかに少人数だったかと言えます。

それ故に、落ち着いた雰囲気で、静かな環境で過ごすことができました。

訓練生にとっての一番の難関、涙を流すもの現れる語学訓練ですが、私に至っては前回の経験からタイ語を勉強する時間がたっぷりあったこともあり、訓練中の語学についてはほとんど心配してませんでした。

それゆえ、語学訓練を行う訓練生の負担を減らそうかと、班のリーダーに立候補しました。

日中は語学訓練の他、海外で生活する上での注意事項が盛り込まれた講座などが続きます。

短いようで長いようで短い45日間を終え、訓練を無事終えることができました。

一番は怪我に気を付けました。

何と言っても、もう2度と怪我で訓練途中に帰ることはしたくなかったからです。

もし、海外協力隊を希望している人は、はしゃぎすぎに注意しましょう。

いろんな思いを抱える海外協力隊待機者へ

コロナ過で当初の予定が大幅にずれました。

自分の将来設計が大きくずれてしまった人もいるでしょう。

コロナに嘆く人もいるでしょう。

先に活動をしている協力隊員をうらやましく思う人もいるでしょう。

自分の今の立場に不安と戸惑いを感じている人もいるでしょう。

それでも、一度目標にしたその思いを持ち続ければいつかは叶います。

世界はあなたを待っています。

悶々をする時期を過ごした私も、必ず自分が目指した明るい未来があると信じてここまで来ました。

だから、今はその思いの灯をほんのりでもいい、持ち続けてみてください。

共に、世界で輝く人になりましょう。

これから海外協力隊を目指す人へ

海外協力隊経験者が書くブログやSNSで観る光景は非常に輝いて見えます。

目にする物が100%海外協力隊を表していないかもしれません。

それでも、この海外協力隊での2年間の経験は、人生の中で必ずかけがえのないものになると私は思います。

海外協力隊になるためには、一歩勇気を踏み出すことです。

そうすると、考えをともにする仲間に出会え、あなたの力を必要とする世界中の人々に出会え、自分を応援してくれるたくさんの人々に出会えます。

タイ人100人に聞いた「あなたの幸せとは?」~海外協力隊活動の最終章~

2年間の海外協力隊ボランティア生活を終えた。

最後には後輩隊員向けに帰国報告会を行ったのだが、そこで何を伝えるべきか活動最後の1か月は非常に考えを巡らせた。

結果いきついたのが、自分が関わったタイ人100人に「あなたにとって幸せに必要なものは何か?」を問い、その結果を発表するというものだった。

1位 2位 3位 4位 5位 6位 7位
健康 家族 ボランティア 精神的なゆとり お金 笑顔 友達
「タイ人100人に聞いたあなたにとって幸せに必要なものは何か?」結果

↓(参考)日本人の「あなたにとって幸せに必要なものは?」ランキング

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000014.000108703.html

100人への聞き取りって思ったよりしんどくて

インスタグラムで見た他の国の隊員が、生徒たちに「幸せと感じるのはどんなときか?」というものを参考にしようと思ったのは活動終了1か月前。

高齢者介護の職種ということで、高齢者を中心とした100人に質問していこうとしたのだが、これが思ったよりしんどかった。

100人に会い、一人一人に質問を行っていくことは意外と大変なことなのである。

それでも、1つの会議やクラブがあれば、積極的にホワイトボードを片手に走り回り質問した。

思い返すと、そんなにしっかりと会話をしたことが無い高齢者たちもいた。

この「あなたにとって幸せは何なのか?を100に質問しなければいけない」という自分へのプレッシャーがいい意味で今までにないコミュニケーションを生んだ。

こんなことなら、もっと前から質問を用意してコミュニケーションを図ればよかった、なんて思うのは往々にして活動の最後なのである。

思わる副産物と100人に質問した結果に辿り着いたもの

在宅訪問の時にある高齢者の患者にも質問した。

その患者は、自分が挨拶しても、一緒に行ったタイ人看護師が話しかけても言葉を発しなかった。

この患者には質問することは無理かななんて思いながらも、「あなたにとって幸せに必要なものとは何ですか?」と書かれたホワイトボードを渡し、書いてもらうよう説明した。

すると、しばらく悩みながらも患者はペンを走らせ始めた。

「ラジオ」

その文字を見た時、横にいた患者の家族が、「ラジオで歌を聴くことが幸せなのかい?」と患者に聞いた。

その患者はうなづいた。

家族は、「そんなこと思っていたなんて聞いたことなかったわ」と言っていた。

どうやらこの質問ツールが、家族も知らない患者の趣味嗜好に気付くことができる最適ツールになっていたようだった。

こんなに使えるアイテムだったなんてと改めて気づかされた。もっと早く気づいていれば、いろんな患者に質問できたし、コミュニケーションの幅が広がったのにと思ったのだが、それも後の祭りだ。

このエピソードを、一緒にいた看護師が他の同僚にも伝えてくれていたようで、嬉しかった。

自分が動いたことで患者と家族のコミュニケーションが生まれた、同僚も認めてくれた、自分がこの地域に存在した意義があったと思えたのだ。

自分にとって「幸せに必要なものとは?」

自分自身もこの問いに対し最初から答えを用意していた。

自分にとって幸せに必要なものとは、「笑顔」である。

自分が笑顔でいる事、自分と関わったみんなが笑顔でいる事こそ幸せと思える根源かと感じる。

一人でも多くの人を笑顔にしたいがために、仕事をし、コミュニケーションを図り、時には困っている人を助ける。

これぞ自分の人生だなと、改めて思えた活動の最終章。

アナタハコウレイシャガスキナノデスカ?

 

「あなたは高齢者が好きなのですか?」

ある日若い医師に言われた一言。

最初はその質問の意味が解らなかった。

高齢者介護隊員として本当に何が出来たのか!?

私は、活動のルーティーンである訪問看護に行っていた。

その日は、若い医師2名も同席していたのだが、さすがに若いので訪問看護の場面に行くこともなかったのだろう、いろいろ戸惑いながら高齢者の患者と話をしていた。

車での移動中に私は医師に質問された。

「あなたは高齢者が好きなのですか?」

最初はその質問の意味が解らなかった。

確かに嫌いではないが、ハッキリと好きだと言えるほどの確信も持てなかったので、答えに躊躇していたのである。

すると、いつも一緒に在宅訪問をしていた看護師がすかさず、「KENは高齢者への対応が優しいもんねー」と医師に答えた。

そうか、在宅訪問中に対応して患者との「優しい」やりとりを見て、その医師は「この日本人は高齢者が好きなんだ」と思ったのか!?

自分としてはあまり意識していなかったのだが、タイ語でのコミュニケーションにも慣れて、患者と何気ない普通の会話や気遣う言葉が自然に出てきているなぁと改めて思い返した。

その医師に、細かな自分の思いをタイ語で伝えることはできなかった。

自分としては好きとか嫌いとかではなくて、長年高齢者に関わる仕事をしてきた結果このような対応が身に付いたんだよと言いたかった。

この「優しさ」は、国を問わず、言葉を問わず、伝わる感情であり、自分の特性かもしれないなと思った。

そして、日本人ボランティアがタイ人医師に伝えることができる唯一の事かなとも思った。

この医師とこれからも時間を一緒に過ごしていけば、もう少し日本の医療・介護の奥にある「寄り添い」を伝えることができるかもしれないと思ったが、その時すでに帰国1週間前。

そして、その医師は自分の住むアパートの隣に引っ越してきた人であったこともその時に知った。

あー、もっと早く出会えていれば、一緒に飲みに行く未来も見えたのに。

なんとも、派遣期間のミスマッチを感じた日。

 

「あなたは高齢者が好きなのですか?」

ある日若い医師に言われた一言。

最初はその質問の意味が解らなかった。

高齢者介護隊員として本当に何が出来たのか!?

私は、活動のルーティーンである訪問看護に行っていた。

その日は、若い医師2名も同席していたのだが、さすがに若いので訪問看護の場面に行くこともなかったのだろう、いろいろ戸惑いながら高齢者の患者と話をしていた。

車での移動中に私は医師に質問された。

「あなたは高齢者が好きなのですか?」

最初はその質問の意味が解らなかった。

確かに嫌いではないが、ハッキリと好きだと言えるほどの確信も持てなかったので、答えに躊躇していたのである。

すると、いつも一緒に在宅訪問をしていた看護師がすかさず、「KENは高齢者への対応が優しいもんねー」と医師に答えた。

そうか、在宅訪問中に対応して患者との「優しい」やりとりを見て、その医師は「この日本人は高齢者が好きなんだ」と思ったのか!?

自分としてはあまり意識していなかったのだが、タイ語でのコミュニケーションにも慣れて、患者と何気ない普通の会話や気遣う言葉が自然に出てきているなぁと改めて思い返した。

その医師に、細かな自分の思いをタイ語で伝えることはできなかった。

自分としては好きとか嫌いとかではなくて、長年高齢者に関わる仕事をしてきた結果このような対応が身に付いたんだよと言いたかった。

この「優しさ」は、国を問わず、言葉を問わず、伝わる感情であり、自分の特性かもしれないなと思った。

そして、日本人ボランティアがタイ人医師に伝えることができる唯一の事かなとも思った。

この医師とこれからも時間を一緒に過ごしていけば、もう少し日本の医療・介護の奥にある「寄り添い」を伝えることができるかもしれないと思ったが、その時すでに帰国1週間前。

そして、その医師は自分の住むアパートの隣に引っ越してきた人であったこともその時に知った。

あー、もっと早く出会えていれば、一緒に飲みに行く未来も見えたのに。

なんとも、派遣期間のミスマッチを感じた日。

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海外協力隊として2年間を完遂して思う事

 

2024年2月13日をもって私のJICA海外協力隊生活は終了した。

終わりよければすべてよし

2年間を振り返るには時間がもう少し必要だ。

色々な経験ができたし、色々考えさせられることも多かったし、もう少しできたかなと思うこともあったし、出会ったタイ人にまた会いたい気持ちもあるし。

日本に帰って来て4日が経った。

一言で言うと、この海外協力隊生活は「終わりよければすべてよし」だと思う。

任地での最後の2週間くらいは、同僚が非常に優しくしてくれて、旅行に連れて行ってくれたり、ご飯に連れて行ってくれたり、おごってくれたり。

今までほとんど接点のなかった人たちが優しくしてくれるのは、タイ人の特性なのか!?「最初」と「最後」に特に優しさを感じたのだ。

これは、タイに行った旅行客が「ほほえみの国」と感じるゆえんだろう。

初めて会った時に優しく帰り際に優しいのは、旅行客にとってなんとも嬉しいものである。

タイ人のこういう性格は、観光事業を行う上で優位なんだろうおそらく。

タイの最終日と2年ぶりの日本へ足を踏み入れた瞬間

任地での活動を終え、最後の5日間は首都バンコクで過ごした。

帰国報告や新たに派遣された隊員達との食事会、これまでお世話になったタイ事務所スタッフとの食事会などいろいろあったが、やはり同日にタイに来たメンバーで過ごすタイ最後の日は感慨深かった。

同日にタイにやってきたのは、自分も含めて4人。

これまで4人で過ごす時間はほぼなかったのだが、最後だからと30階以上のビルの上にあるフレンチで食べた食事。

その後のカラオケ。

2年間を締めくくるのにこの上ないいい時間となった。

この海外協力隊に参加しなければ絶対に出会うことのなかったであろうバックグラウンドを持つ人たち。

年齢も、出身も、職業もバラバラだって、海外で2年間健康で暮らすことを成し遂げた人たちだけが分かち合える景色を感じて嬉しかった。

いろんな思いを胸に、いよいよ2年ぶりの日本へ帰って来たのだが、羽田空港に着いたその瞬間、「あー帰ってきた」なんて感傷に浸ることはなかった。

自分でも不思議なのだが、その瞬間からもう日本での日常がスタートしていて、タイにいたことははるか遠い昔の話のような、日本を歩くことに何の違和感も感じなかった。

3日経って思うのは、タイに居た時だって日本の情報を逐一知ることはできたし、動画を観ればいつでも日本語に接することはできた。

この簡単に世界の情報を得られる時代だからこそ、「空白の2年」のような浦島太郎状態に陥ることもなくちょっとした旅行とそん色ない感覚なのかもしれない。

もしかしたら、今後、タイの2年間の経験を語っていくことで、いろいろ感じてくるかもしれない。

ただ、せっかくできた住んだ地域のタイ人との関係は忘れることのないものである。

タイ人の友人と呼べる人ができたことは誇らしいし、日本以外に気にかける国ができたことはこの2年間の財産である。

つまり、大人からでもいろんな意味で世界が広がる、海外協力隊に参加することは人生に1度はあっても良いという事である。

2024年2月13日をもって私のJICA海外協力隊生活は終了した。

終わりよければすべてよし

2年間を振り返るには時間がもう少し必要だ。

色々な経験ができたし、色々考えさせられることも多かったし、もう少しできたかなと思うこともあったし、出会ったタイ人にまた会いたい気持ちもあるし。

日本に帰って来て4日が経った。

一言で言うと、この海外協力隊生活は「終わりよければすべてよし」だと思う。

任地での最後の2週間くらいは、同僚が非常に優しくしてくれて、旅行に連れて行ってくれたり、ご飯に連れて行ってくれたり、おごってくれたり。

今までほとんど接点のなかった人たちが優しくしてくれるのは、タイ人の特性なのか!?「最初」と「最後」に特に優しさを感じたのだ。

これは、タイに行った旅行客が「ほほえみの国」と感じるゆえんだろう。

初めて会った時に優しく帰り際に優しいのは、旅行客にとってなんとも嬉しいものである。

タイ人のこういう性格は、観光事業を行う上で優位なんだろうおそらく。

タイの最終日と2年ぶりの日本へ足を踏み入れた瞬間

任地での活動を終え、最後の5日間は首都バンコクで過ごした。

帰国報告や新たに派遣された隊員達との食事会、これまでお世話になったタイ事務所スタッフとの食事会などいろいろあったが、やはり同日にタイに来たメンバーで過ごすタイ最後の日は感慨深かった。

同日にタイにやってきたのは、自分も含めて4人。

これまで4人で過ごす時間はほぼなかったのだが、最後だからと30階以上のビルの上にあるフレンチで食べた食事。

その後のカラオケ。

2年間を締めくくるのにこの上ないいい時間となった。

この海外協力隊に参加しなければ絶対に出会うことのなかったであろうバックグラウンドを持つ人たち。

年齢も、出身も、職業もバラバラだって、海外で2年間健康で暮らすことを成し遂げた人たちだけが分かち合える景色を感じて嬉しかった。

いろんな思いを胸に、いよいよ2年ぶりの日本へ帰って来たのだが、羽田空港に着いたその瞬間、「あー帰ってきた」なんて感傷に浸ることはなかった。

自分でも不思議なのだが、その瞬間からもう日本での日常がスタートしていて、タイにいたことははるか遠い昔の話のような、日本を歩くことに何の違和感も感じなかった。

3日経って思うのは、タイに居た時だって日本の情報を逐一知ることはできたし、動画を観ればいつでも日本語に接することはできた。

この簡単に世界の情報を得られる時代だからこそ、「空白の2年」のような浦島太郎状態に陥ることもなくちょっとした旅行とそん色ない感覚なのかもしれない。

もしかしたら、今後、タイの2年間の経験を語っていくことで、いろいろ感じてくるかもしれない。

ただ、せっかくできた住んだ地域のタイ人との関係は忘れることのないものである。

タイ人の友人と呼べる人ができたことは誇らしいし、日本以外に気にかける国ができたことはこの2年間の財産である。

つまり、大人からでもいろんな意味で世界が広がる、海外協力隊に参加することは人生に1度はあっても良いという事である。

2024年2月13日をもって私のJICA海外協力隊生活は終了した。

終わりよければすべてよし

2年間を振り返るには時間がもう少し必要だ。

色々な経験ができたし、色々考えさせられることも多かったし、もう少しできたかなと思うこともあったし、出会ったタイ人にまた会いたい気持ちもあるし。

日本に帰って来て4日が経った。

一言で言うと、この海外協力隊生活は「終わりよければすべてよし」だと思う。

任地での最後の2週間くらいは、同僚が非常に優しくしてくれて、旅行に連れて行ってくれたり、ご飯に連れて行ってくれたり、おごってくれたり。

今までほとんど接点のなかった人たちが優しくしてくれるのは、タイ人の特性なのか!?「最初」と「最後」に特に優しさを感じたのだ。

これは、タイに行った旅行客が「ほほえみの国」と感じるゆえんだろう。

初めて会った時に優しく帰り際に優しいのは、旅行客にとってなんとも嬉しいものである。

タイ人のこういう性格は、観光事業を行う上で優位なんだろうおそらく。

タイの最終日と2年ぶりの日本へ足を踏み入れた瞬間

任地での活動を終え、最後の5日間は首都バンコクで過ごした。

帰国報告や新たに派遣された隊員達との食事会、これまでお世話になったタイ事務所スタッフとの食事会などいろいろあったが、やはり同日にタイに来たメンバーで過ごすタイ最後の日は感慨深かった。

同日にタイにやってきたのは、自分も含めて4人。

これまで4人で過ごす時間はほぼなかったのだが、最後だからと30階以上のビルの上にあるフレンチで食べた食事。

その後のカラオケ。

2年間を締めくくるのにこの上ないいい時間となった。

この海外協力隊に参加しなければ絶対に出会うことのなかったであろうバックグラウンドを持つ人たち。

年齢も、出身も、職業もバラバラだって、海外で2年間健康で暮らすことを成し遂げた人たちだけが分かち合える景色を感じて嬉しかった。

いろんな思いを胸に、いよいよ2年ぶりの日本へ帰って来たのだが、羽田空港に着いたその瞬間、「あー帰ってきた」なんて感傷に浸ることはなかった。

自分でも不思議なのだが、その瞬間からもう日本での日常がスタートしていて、タイにいたことははるか遠い昔の話のような、日本を歩くことに何の違和感も感じなかった。

3日経って思うのは、タイに居た時だって日本の情報を逐一知ることはできたし、動画を観ればいつでも日本語に接することはできた。

この簡単に世界の情報を得られる時代だからこそ、「空白の2年」のような浦島太郎状態に陥ることもなくちょっとした旅行とそん色ない感覚なのかもしれない。

もしかしたら、今後、タイの2年間の経験を語っていくことで、いろいろ感じてくるかもしれない。

ただ、せっかくできた住んだ地域のタイ人との関係は忘れることのないものである。

タイ人の友人と呼べる人ができたことは誇らしいし、日本以外に気にかける国ができたことはこの2年間の財産である。

つまり、大人からでもいろんな意味で世界が広がる、海外協力隊に参加することは人生に1度はあっても良いという事である。

 

タイの高齢者達の運動会がすごかった!

 

普段から病院の職員と共に活動している保健ボランティア達のための運動会が行われた。

保健ボランティア達の多くは定年後の方たちばかり、私は、ほぼ60オーバーの人達が集う運動会は心配だった。

というのも、派遣前の訓練所で中年男性の私としては、はしゃぎすぎてアキレス腱を切った思い出があったので、この保険ボランティア達もはしゃいで怪我をしないだろうかということを思っていたのである。

日本では見られない一風変わった競技

タイで言う「運動会」は、日本で行うものとはちょっと毛色が違う。

日本から見れば一風変わった!?というか創作に富んだ種目が多いのも特徴である。

徒競走、玉入れ、綱引きと言った日本では定番と呼ばれるものは一切やらなかった。

風船を足に付けて割り合う競技

この競技、自分も参加したのだが、風船を踏む前に脚を踏んでしまわないかと気になって協議に集中できない。

本気で踏んでくるタイ人が怖いとすら思った。

そして、思ったより保健ボランティアたちは機敏だった。

腰に巻いた紐に瓜を付けて、丸ナスを転がすという、見た目的に奇想天外すぎる競技

一言で言い表すことのできない競技。

他のタイ隊員の運動会でも見たことがあるので、これがタイの一般的競技なのかもしれないが、腰を振り振り、ゴールへ向かう姿は笑うしかない。

この笑いこそがタイの運動会なのかもしれないが、なかなか進まないので時間ばかり食う競技だ。

ストローを口と鼻の間に挟みながら走り、ペットボトルに入れていくという競技

なんか、実際競技の説明書きをしていてもナニコレ?って思ってしまう。

以下、写真をご覧ください。

まず、しゃがんで体をかたむける柔軟性が無いと成立しないという、なんとも高齢者たちに酷な競技だった。

椅子取りゲーム&借り物競争

椅子取りゲームと借り物競争を合わせ技で行うという斬新に思えた競技。

最後のお題「電気ポット」は、広い公園の中において、周囲に無さ過ぎて、近くの役場までバイクで走って借り物競争しに行くとか、もう何でもありの運動会なのである。

最後は食べて、踊ってと、なんともタイらしい運動会だった。

60歳オーバー、中には80歳近い人もいる中、けが人がいなかったのが良かった。

いろんな経験ができた。

2024年をタイで迎える&残り1か月の協力隊活動

 

JICA海外協力隊として2回目の新年を迎えた。今年は、隊員達とともにチェンマイでカウントダウンを行った。

チェンマイはタイの中でも有名な観光都市であり、欧米人の他にもたくさんの日本人がいた。

チェンマイの伝統であるコムローイ(行灯)もたくさん上がっていた。(本来はコムローイを街であげることは違反となっているようだが)

そして、新年を迎えたということは、私の活動期間も後1か月余りとなった。

チェンマイという街の魅力

ターペー問

チェンマイを訪れるのは半年ぶり2回目。

欧米人、日本人も多くいたのだが、本当に観光するにはうってつけの見どころ満載な都市だと思う。

もし、今後タイで働くとすれば、チェンマイを選びたいと思うほどだ。

思い出はたくさんあるが、ナイトサファリは特に楽しかった。

普段見れない動物たちの夜の生態を見るのはワクワクする。

キリンに餌をあげて舐められたり。。

それから、今回も首長族の村に行ったのだが、タイ語が話せることで、首長族の人と生まれ育った環境や教育についてなどいろいろなことを知れるのは本当に良かった。

そして、協力隊隊員もそうでない人とも一緒に時間を過ごして、いろんな出会いがあり、たくさんの人と話して楽しい時間を過ごせた年末年始だった。

これは、タイ生活の集大成だと感じた。

残り1か月の活動期間

JICA海外協力隊としての活動期間は2月で終了する。

あと、残り1か月余りであるが、最近やり残したことは何だろうと考えることがある。

まぁ、旅行と言えば、まだまだ行っていないタイの国はあるし、この2年間他の国に行くこともなかったので、やり残していると言えばそうであるが、またいつでも行ける気持ちもある。

やはり重要なのは、自分が生活する地域の人達となるべくたくさん話をし、知ること。

タイの田舎で生活するなんて言う経験はボランティアでなければなかなか難しいと思う。

もし、今後タイの企業で働くとしても、日本企業の駐在員になるとしても、バンコクやシーラチャなどの都会で、日本人が多い所になるだろう。

普段日本語を全く使わない生活、これもあと1か月と思うとなんだか感慨深い。

まずは、健康に帰ることが目標だが、残り期間でやり残したことを積極的に動いて達成していこうと思う年明けだ。

一つ思いついたのは、「あなたにとって幸せとは?」という質問をタイ人に聞いて回ること。

タイ人の本当の想いを最後に知ることができれば、この2年間を全うできたと思えるかもしれない.

 

JICA海外協力隊として2回目の新年を迎えた。今年は、隊員達とともにチェンマイでカウントダウンを行った。

チェンマイはタイの中でも有名な観光都市であり、欧米人の他にもたくさんの日本人がいた。

チェンマイの伝統であるコムローイ(行灯)もたくさん上がっていた。(本来はコムローイを街であげることは違反となっているようだが)

そして、新年を迎えたということは、私の活動期間も後1か月余りとなった。

チェンマイという街の魅力

ターペー問

チェンマイを訪れるのは半年ぶり2回目。

欧米人、日本人も多くいたのだが、本当に観光するにはうってつけの見どころ満載な都市だと思う。

もし、今後タイで働くとすれば、チェンマイを選びたいと思うほどだ。

思い出はたくさんあるが、ナイトサファリは特に楽しかった。

普段見れない動物たちの夜の生態を見るのはワクワクする。

キリンに餌をあげて舐められたり。。

それから、今回も首長族の村に行ったのだが、タイ語が話せることで、首長族の人と生まれ育った環境や教育についてなどいろいろなことを知れるのは本当に良かった。

そして、協力隊隊員もそうでない人とも一緒に時間を過ごして、いろんな出会いがあり、たくさんの人と話して楽しい時間を過ごせた年末年始だった。

これは、タイ生活の集大成だと感じた。

残り1か月の活動期間

JICA海外協力隊としての活動期間は2月で終了する。

あと、残り1か月余りであるが、最近やり残したことは何だろうと考えることがある。

まぁ、旅行と言えば、まだまだ行っていないタイの国はあるし、この2年間他の国に行くこともなかったので、やり残していると言えばそうであるが、またいつでも行ける気持ちもある。

やはり重要なのは、自分が生活する地域の人達となるべくたくさん話をし、知ること。

タイの田舎で生活するなんて言う経験はボランティアでなければなかなか難しいと思う。

もし、今後タイの企業で働くとしても、日本企業の駐在員になるとしても、バンコクやシーラチャなどの都会で、日本人が多い所になるだろう。

普段日本語を全く使わない生活、これもあと1か月と思うとなんだか感慨深い。

まずは、健康に帰ることが目標だが、残り期間でやり残したことを積極的に動いて達成していこうと思う年明けだ。

一つ思いついたのは、「あなたにとって幸せとは?」という質問をタイ人に聞いて回ること。

タイ人の本当の想いを最後に知ることができれば、この2年間を全うできたと思えるかもしれない

 

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人生で初めてのヒッチハイクをタイで経験する!?

 

12月に入り、タイは乾季に入った。乾季は雨も少なく、気温も比較的高くない日もあり、観光にはうってつけのシーズンだ。

隊員達と共にタイの東北部にあるウドンターニー県に旅行に行ったのだが、波乱万丈過ぎたので報告したい。

赤い蓮の池

朝3時半起床。

旅の朝は早い。というのも、この日はタイでも珍しい赤い蓮が広がる池を観に行くためである。

蓮は寒い日の早朝にきれいに咲くらしいので、朝5時に出発する車を前日にチャーターしておいた。

未だ日が昇らない暗闇の中を進むこと1時間、ようやく着いた頃にはちょうど朝日が昇り始めていた。

日が昇るに連れて姿を現す蓮の花。

その光景は、一緒に行ったものが「天国にいるみたい」と評すような光景だった。

早起きした甲斐があった。

ゆっくりと赤い蓮の池を楽しんでもまだ時刻は7時半、早起きは三文の徳とはよく言ったものだ。

これから長い一日を感じることができた。

街に帰れない!?田舎で孤立した日本人たち!

一端街へ戻ってきて、さらにまた違う地方にある世界遺産の遺跡群が見られる博物館へ。

こちらも街からは1時間強、隣県まで行くバスに乗り途中で降りる。

バス停から博物館までの田舎道の6kmほどをどのように行くか考えてなかったが、バスの添乗員がトゥクトゥクを予約しておいてくれた。

優しいタイ人だ。

今にも壊れそうな田舎のトゥクトゥクに15分ほど乗りながら、なんとか博物館についた。

約2時間、ゆっくりと博物館を楽しんだ。

しかし、この後重大な問題に気が付くのである!

帰りの交通手段はどうするのか・・・

行く道で乗ったバスは、どうやらこの田舎から途中乗車して帰るのは困難なよう。

そう、この田舎にある博物館には公共機関などなく、博物館に来る客は、自家用車かツアーとしてワゴン車で来ていることに気が付いた。

博物館の受付の人に相談してみるが、このあたりにもちろん移動手段はなく、配車タクシーも通っていないとのこと。

町までの60kmの変える手段が何も見つからないのである。

半ば絶望を感じた。この街で1泊?だとしても、翌日どうやって帰る?

と、悩んでいると、博物館の警備のお兄さんが街まで行く車がないか探してみると言ってくれた。

もし、見つからなければ16時の営業時間終了後に自分が送っていくと。

なんとも優しいお言葉に甘えて、16時の営業時間終了を待つと、そこに一台の車が現れた。

その車は、警備のお兄さんが街まで送ってくれるよう頼んでくれた車だった。

もう、「神」としか言いようのない優しさ!!

こうして、ヒッチハイク並みに車を無料でGETして約60kmの道のりを帰ってきたのである。

その車の方たちといろいろ話をしていると、どうやら仕事はアーティストで、博物館近くでのイベントを行った帰りだったとのこと。

どうやら市街地で店を持ち、焼き物などの販売もしているとのことで、これはもうお礼のために行かねばならない!と翌日にちゃんとその方のお店を訪問し、お土産を買った。

素晴らしい出会いに感謝。