30代おじさんJICA海外協力隊でタイ生活

30代後半から海外転職を考え辿りついたJICA海外協力隊。海外ボランティアとしてのタイの2年間の記録。

床から覗く川 危険すぎる家に訪問した日

川沿いの生活に危険を感じるのは自分だけ?

 

最近、リハビリスタッフの家庭訪問に同行している。

 

病院まで通えない人にのため家の中でリハビリを行ったり、患者本人や家族が家でできる運動を伝えたり、日常生活の動作を確認したりするためだ。

 

何件も訪問する中で、実際のタイ人の生活に触れることができ、同時に今まで見えなかったタイの貧富の差を感じる。

 

 

先日行った家は、床から川が見える家だった。

 

というのは、板張りの床には所々隙間が空いていて、中には穴になっている箇所があるため、床下に流れている川が透けて見えるのだ。

 

その家に入る時には、床が抜けて川に落ちないかと足の踏み場を思わず考えてしまうほどちょっと怖いくらいの床で、リハビリの時間中約30分間ずっと床が気がかりで足元ばかり見ていた。

この家を見て一番に想像したのは、強めの地震が来たらすぐに崩壊してしまうだろうという危険性だったが、タイは地震はほとんどないという。

 

だからこそこの形で何十年も生活できていたのかもしれないが、この環境はいち日本人からするとカルチャーショックをおぼえる。

 

肥満、高血圧、糖尿病

この患者が寝ているベッドはむき出しの木で、敷布団はない。

 

ここでほぼ一日中横になって過ごしている。

 

日本で働いている時も数々の家を訪問してきた経験があるが、このようなベッドで寝ている高齢者は見たことがない。

 

窓はなく、壁の向こう側は一面川が見えるという家の中で、固い板張りのベッドに横になり一日を過ごす。

 

これがタイの地方の生活なのだと見て取れた。

この患者は大柄で、一人で起き上がり、座り、ベッドから降りるという動作すべてが大変そうに見えた。

 

しかし同時に、このベッド周りの環境が改善すれば、もう少しスムーズに寝たり起きたりできるのではないかとも思った。

 

ただ、辺りを見回してみたものの、この環境を変えるには家そのものを改修しなければならないかもしれない。

 

そして、本人や家族がそれを望んでいるかもわからない。

 

訪問中、一人で頭の中をいろんな想像が駆け巡っていた。

 

患者は、移動するのは困難なものの、4点歩行器を使いながら自力で歩行をし、同居する息子の運転する車で病院まで行くとのこと。

 

板張りの固いベッドから起き、4点歩行器を使って穴の開いた板張りを渡り、ぬかるんだ道を数m歩き、そして車に乗る。

 

病院に行くだけでもなかなか疲れそうに感じる。

 

しかも、かなりの高血圧で、ふらつく可能性もある。

 

この生活が身体能力に影響を与えたかどうかはわからないが、もしかしたら低下を避けられたかもしれない。

 

この環境で暮らすことを自ら選択しているわけなので仕方がないとも思うのは、冷たい感情だろうか?

 

患者自ら今の生活に悩みや大変さが出てきたときには、もちろん寄り添いたいが。

バイク事故15歳で下半身不随の少年に出会った日

家庭訪問でわかるタイの問題

 

所属している病院では、寝たきりの方のために家を訪問してリハビリを行うこともしている。

 

訪問するのは高齢者に限ったことではない。

 

時には若くして障害を持った方に出会うこともある。

 

基本的に私は、理学療法士というリハビリスタッフについて行き、家に行って初めてどんな方にリハビリを行うのか知る形なのだが、さすがに15歳の少年がベッドに横になっていた時には驚いた。

 

少年は、バイクによる事故で下半身不随となっていた状態。

 

事故後4か月経過しているとのこと。

 

彼は一見、特に今の状態に悲観しているようには見えないが、しかし、一目会っただけで彼の感情のすべてを思い図ることなどできない。

 

両足は完全に自分の意志で動かすことはできない状態、排泄も困難なためか管を入れて尿を体外へ出すパックをベッド横に見ることができる。

 

タイの運転免許事情

 

最初15歳の子がバイク事故と聞いたとき、15歳でバイク??と思った。

 

タイではバイク免許は本来18歳から取ることができる。

しかし、大通りや夜間の運転禁止等いくつかの条件のもとで、排気量110cc以下のバイクであれば満15歳からバイクの免許証を取得することができるのだ。

 

彼が住む家は周りがココナッツ林で茂る田舎にある。

 

交通手段としては車やバイクが無いと生活が不便になることも理解はできる。

 

15歳の未来は

彼は今の現状をどう感じているのだろう。

 

この日一番思ったことだ。

 

彼と理学療法士との会話を聞く限りでは、リハビリをすればこの足は元通り歩けるようになると思っているのではないかと感じた。

 

一般的には、脊椎損傷を発症してから3~4か月で慢性期と言って、これ以上リハビリをしても大きな回復は期待できないという時期に入ってくる。

 

もちろん100%もう治らないとは言えないと思うが、4か月経ったこの時期では回復の期待はなかなか厳しいだろう。

 

そこを彼がどこまで理解しているかはわからない。

タイの医師はどこまで伝えているのかわからない。

彼の将来について気になった。

 

タイと障がい

タイには障がい者を雇用するための法律があるようだ。

しかし、実際には働けていない障がい者も多いのは、企業がバンコクに集中していることもあるだろう。

 

このようなタイの地方で障がいを持ちながら生活するのはやはり難しい。

 

地方に居ながらにして自立して障がい者が生活できる仕組みが何かできないか?という所まで考えを広げると、壮大な話になって、ボランティアとして何から手を付け何をしたらいいのか見当もつかなくなってくる。

 

まずは、当事者の話を聞いたうえで、今のニーズを解決できる方法を一緒に悩み、一歩ずつ未来を前進していくことに寄り添う。

 

1対1のミクロな支援、それが今の自分にできる活動だろうか。

 

このような考えを巡らせると、当初「高齢者介護」という職種で活動をするはずだったが、結局、今まで経験してきたソーシャルワーカーの仕事を活かすことになりそうだ。

結局語学の向上は聞き手次第!?通じるタイ語と通じないタイ語

タイ人と1日ずーっと過ごした日

タイを知る旅にタイ人の友人が連れて行ってくれた。

車で片道3時間の道のり、当たり前だがずーっとタイ語での会話である。

タイに来て半年、普段食事や買い物をする分にはタイ語が伝わらなくて困ることはほとんどなくなってきた。

 

しかし、仕事の詳細な話の確認や会議の内容、何の脈絡もないところから話されるタイ人同士の雑談にはまだ入っていけるほどの理解ではない。

 

そんなレベルのタイ語で、タイ人と一日ドライブしてやっていけるのだろうか?

 

自分自身に半信半疑であり、また、なんとかなるさという気持ちも半分ありながらの旅だった。

 

結果から言うと、途切れずに話がまぁこんなに続くものかというくらいタイ語で話すことができた。

 

タイの文化の話、日本の文化の話、政治の話、仕事の話、将来の話、宗教の話・・・。

 

日本語で話そうったって少し考える必要がある内容を共有できた。

どうしてこんなに楽しくタイ語の会話を共有することができたのだろうか?

 

半年でタイ語力飛躍的UP!?

まず自分が思ったのは、単純にタイ語力が上がったのだということ。

 

そりゃあ半年いるのだから、それくらいの語学力になって当然でしょう!という考えだ。

 

しかし、この旅の次の日に職場に行って同じレベルで会話しようと思っても、どうも理解できなかった。

 

どうして次の日には逆戻りしたのだろうと不思議に思ったが、自分のタイ語力が急激にUPしたわけではなかったのだろう。

 

聞き手が賢いとタイ語が話せる気になる

と考えると、あの日車で続いた会話は、相手の聞き取り能力がすごく高かったという事だろう。

 

相手の職業的にも賢いのは間違いないと思う。

 

英語を話すこともできる。

 

振り返ると、自分が言おうとする言葉を伝えるまで待ってくれるし、うまく伝えられなければ察して「こう言いたいの?」とまさに言おうとした回答を導き出してくれる。

 

相手の話すタイ語はゆっくりではっきりで聞き取り易いし、簡単な言葉を使ってくれる。

 

自分が「?」な顔をすると、2度3度繰り返しわかりやすく説明してくれる。

 

これはもう自分の語学力が上がったとかではない、相手がすごいのだと感服するしかない。

 

改めてそう思った。

それに気が付いてからまた、サボっていたタイ語勉強に向かう。

人間なんてやる気がいつまで続くかわからない生き物だ。

今、この人とGoogle翻訳を使わずにスムーズにタイ語の会話ができるようになりたい、というモチベーションがあるうちに、勉強勉強。

 

ちなみに、子どもの発達外来に関わる活動もしているが、そこに来る子の言語能力と自分のタイ語力を比べてみると、大体自分は3歳くらいの理解力だろう・・・泣。

タイの貧困格差

タイのドラマとCMでタイの印象がまったく違う

 

ふと、派遣前訓練時代のタイ語の先生の言葉を思い出した。

 

「タイのドラマはお金持ちしか出てこないからつまらない」

 

先生に言われてみてふと考えると「確かに!」と思った。

訓練所に行くまでは、独学でタイドラマを観ながらタイ語勉強していた私にとって、タイのイメージはドラマの中がほとんどになっていた。

学生物のドラマはみんな大学へ進学しているし、高級車で送り迎えされていたり、実家に帰れば豪邸で自分の部屋も絶対にある。

 

それ以外の大人が出てくるドラマでも大体の設定は一流企業、一流レストラン、メディア関係・・・。

と、どれもお金持ちしか出てこないのだ。

 

ドラマでタイを知った気になっていた自分を恥ずかしく思ったとともに、どうしてお金持ちの設定しかないのだろうと不思議に思ったものだ。

 

タイ語の先生はだから、本当のタイを知る意味ではCMのほうがいいと教えてくれた。

 

日本とは違う数分のCMがタイにはあるのだが、それはタイの地方の実情が解りつつもなんだか心動かされるものだった。

 

 
 

モテる肌、モテない肌

 

タイのドラマに出てくるほとんどの俳優は肌が白い。

お金持ち=肌が白い

 

これがタイのイメージなのだ。

 

屋内のオフィスで仕事をする人達は肌が白い→裕福なイメージ。

 

外で作業をする人たちは肌が黒い→貧しいイメージ。

 

なので、裕福である見た目の肌が白い人がモテるということになる。

 

最近ではその感覚は薄れているとも聞くが、それでもこの考えで行くと一般的にタイ人に比べて肌が白い人が多い日本人はタイでは特にモテる人種ということになる。

 

もちろん実際には肌の色が直接、学力や収入に結びついているとは思わない。

 

タイ南部にある病院に配属されてなおさらそう思う。

 

バンコクにいた時に比べると、南部地方の方が比較的肌の黒いタイ人が多い印象だが、もちろん肌の黒い医師だっている。

 

ただ、そういうイメージがタイにはあるという事。

 

日本にいると気が付かない様々な学ぶことがあるから、画面で見る海外の印象は一端だと捉えた方が良い。

 

実際に自分の目で見る世界はいろんなことを教えてくれる。

ちなみに・・・

タイドラマは日本でボーイズラブが爆発的人気になりました。

 

タイドラマの印象を知りたい方はこちら↓どうぞ。

 

アジアと欧米のコロナ意識の差を考えるサムイ島旅行

コロナウイルスに関わるマスクの意識[2022年8月時点]

欧米・・・必要なし

日本・・・強制的ではないがみんなマスクしている

タイ・・・マスク着用義務ないがほとんどマスクしている

タイ南部のリゾート島サムイ島

 

現在、私が住んでいる県には、海外観光客も多く来るサムイ島と言う島がある。

 

海がきれいで有名だ。

日本にいた頃からせっかくサムイ島がある県に住むのだから、一度は行ってみたいと思っていた。

 

そしてタイに住んで半年、サムイ島に行ってきた。

 

リゾート感覚に思えるかもしれないが、あくまでタイの地方の県在住者が任地紹介の一つで日本へ現地から魅力を伝えると言うことで。

 

自宅からは、車と船を乗り継いで約5時間。


予約したワゴン車には欧米人がいっぱいで、英語が飛び交うにぎやかな感じだった。

かなり多国籍だったので、ここはタイなのかどうか疑ってしまうほどだったが、サムイ島についてからもほとんどが欧米人だったので、なんだか終始不思議な感覚だった。

 

マスクはもう必要ない欧米人

この島に降り立って9割は欧米人だと感じた。

カップルや家族ずれがほとんどで、大きい荷物を持ってこれから何泊もするつもりなのだろう。

皆マスクはしていない。

「コロナウィルス」に関する意識の差を感じた。

欧米諸国のほとんどは、罹ったら仕方がないもので共存していくべきなウイルスなのだろう。

 

インフルエンザに近い感覚なのかもしれない。

それに比べて、日本ではマスクをしているし、タイ人もまた日本と同じようにマスクをしている。

 

この島では9割が欧米人なので、マスクをしているのは少数派なのだ。

 

マスクをしていて肩身が狭い気持ちになったことは初めてだが、タイ人がマスクをしているのを見るとなんか自分の方が正しいのだとも思ってしまった。

 

どっちが正しいなんてことは本来ないのだが、タイに住んで半年、タイ人がマスクを手放していない以上、自分もまだマスクを手放さないでいる。

 

ただ、海で泳ぐときは別だが。

 

幸いこれまで、自分はコロナに罹ったことはまだない。

 

もうこうなるとただの運なのか、もしかしたらすでに罹っていて無症状だっただけかもしれないが、早くこんなマスクのことを書かなくてもいい日が来ればいいとものすごく思う。

詳しくはリール動画でhttps://www.instagram.com/reel/ChUfeMoph3E/?utm_source=ig_web_copy_link

バスや電車は定時に来ないのが普通な件

公共交通機関の時間は人の言う事を信じてはいけない


先日、他県に旅行した時の事。

 

事前にネットで調べて、30分おきに空港から街に向けたバスが出ていることを知り、宿泊先近くのホテルから空港へ向かった。

 

時間も、00分と30分に出ているとネット情報にあったので20分ごろについて待っていた。

 

しかし30分になっても、40分になってもバスは来ない。

 

タイに約半年住んでみて、日本と違ってそんなことはよくあると解っていたのだが、午後には飛行機でこの地を旅立つため時間に余裕がなく、1分たりとも無駄にはできないと少々あせっていた。

 

この場をどうしようかと考え、空港の案内所の人にタイ語で「バスが来ないんですけど・・」と聞いてみた。

 

すると、その案内員は「今日はバスは休みだ」と言うではないか。

 

「・・ああ。そうなんですね」とその場を去ったのだが、しかし、どう考えても腑に落ちない。

 

なぜなら、朝、ホテルの窓からバスが走っているの見たからだ。

 

それからまた、バス停に戻ると、バスが今どこを走っているか分かるアプリがあることを発見!

 

早速そのアプリを見ると、こちらに向かうバスのマークがあり、あと10分ほどでくるではないか!

 

「ほらーやっぱり!!」と一人つぶやいた。

 

人に頼るのも大事だが、自分の見たものを信じることも大事だと気が付かされた。

おかげで、生きる力を養えてこうして旅の記憶が残り、これはこれで楽しいのだが。

バスが来た時の感動

行きで喜び帰りで泣いて

さて、これで目的の寺院まで行くことができた。

そして、事前に調べておいた20バーツを払おうとしたのだが、運転手さんにいらないと言われた。

???

 

どうして無料で乗せてくれたのかちょっとわからなかったが、ありがたくその恩を受け取っておいた。

 

そして、お目当ての寺院を30分強堪能した。

問題が発生したのはその後だった。

 

同じくバスで帰ろうとしたが、先ほどのバス含め空港まで行くバスが2台しかなく、往復1時間の道のりを2台で回すことが判明。

 

その2台が等間隔で来れば1時間に1本という計算になるが、どうやらそうでもない。

 

アプリで確認すると、割と近いところに2台のバスが並んで走っていて、自分が乗りたいバスは後1時間以上は来ないとわかった。

 

帰りの飛行機のじかんに間に合わないかも・・さあどうしようと迷った挙句、結局歩くことに決めた。

35℃の炎天下を、6kmの道のりを、フライト時間まであと2時間の時に。

 

計算上は間に合うはずだ、しかし、日差しは容赦なく体力を奪う。

 

タクシーを使えば?と思うだろうが、なんか負けた気がするし、この旅でお金を使いすぎたので少しでも節約したい気持ちもあった。

 

何その負けず嫌い笑

 

何しろ、この海外協力隊は贅沢できない生活なのだから。

道中、暑すぎて脱水と空腹でスーパーに立ち寄ったが、なんとか1時間で約6kmの道のりを歩き終えた。

 

 

自分の教訓としてタイの日中を歩いて長距離移動するのは思ったよりキツイと伝えておく。

 

なにせ次の日から二日間熱が出たのだから・・・。

熱中症の類かもしれない、それでも、いい経験をさせてもらったと思う。

 

日本のお金が世界を笑顔にする ODAの形

ODA(政府開発援助)の形を見た日

 

先日、ODAによる草の根・人間の安全保障無償協力によって作られた水害避難センター建設事業に対する引き渡し式典に出席した。

 

草の根・人間の安全保障無償協力とは?詳しくはこちら↓

簡単に言うと、開発途上国の安全に関する開発に対して日本から資金を援助するというもの。

 

今回私が出席した事業は、洪水による浸水が顕著な地域に避難センターを作るというもので、毎年のように洪水の被害があることから高床式の避難所を必要としていたこの地域に対して、資金援助を行ったものだ。

 

2011年の洪水時の写真(1階部分が完全に冠水している)

その建物が完成したことから、今回引き渡しという式典が行われた。

式には、日本からは在タイ日本大使館の公使、地元からはスラートターニー県の県知事、プンピン郡の郡助役などが出席し盛大なものとなった。

 

地域の村に伝わるダンスを子供たちが踊ったり、感謝の意を表する知事の言葉など、日本とタイの友好関係を感じることができたし、今後もこの繋がりを大切にしたいそう思った。

 

そして、豪華なお食事つきのおもてなしもあり素晴らしい式典だった。

 


水、お茶、コーヒー、紅茶と一人に付き4種類もの飲み物

草の根無償がつなぎ海外協力隊がつなげる

 

草の根無償は資金を援助するものである。

言い方を変えれば、資金を援助しただけで支援が完結してしまうこということもあるだろう。

 

今回、この式典に参加したことをきっかけとして、私は今度からこの学校に出向き活動を行うことになった。

 

予想だにしなかった展開だが、改めて考えてみると日本の支援あり方としていい流れができるのではと予想している。

 

それは、草の根無償による資金協力によりつながった日本とこの地域や学校との関係を、今度は海外協力隊として深めてさらに広げていくという流れである。

 

実際には自分にこれからどんな支援ができるのか考えないといけないのだが、海外協力隊員の一つの役割として確立できるのではと自分自身の活動に今は期待を込めている。

 

私の本来の職種は高齢者介護である。

 

学校での活動を行っていくことは要請内容から脇道にそれているようにも見えるが、

  1. タイの農村部の生活や文化を知る
  2. 配属先の病院と学校をつなぎ衛生教育活動を行う

という観点から考えると、本来の要請内容につながっていくことができるこの活動は大きく役に立つと感じる。

 

日本人の存在をアピールするチャンスだと今は捉えている。