30代おじさんJICA海外協力隊でタイ生活

30代後半から海外転職を考え辿りついたJICA海外協力隊。海外ボランティアとしてのタイの2年間の記録。

タイの寝たきり高齢者宅を訪問して思う事

 

高齢者宅を訪問することで見えるもの

気が付けばタイに来てから200日が経過していた。

もう半年以上も海外生活を送っているんだと改めて物思いにふける今日この頃である。

 

現在、私はタイのコミュニティ病院で、地域の健康や衛生に関することを対応する部署に所属している。

 

南部の地方にある割と田舎なこの地域には、看護や介護が必要な寝たきりの高齢者もたくさんおり、定期的に看護師等が家を訪問している。

 

その訪問看護の現場に同行することで、タイの高齢者介護事情についていろいろと感じることがあったので伝える。

 

身体拘束

まず、身体拘束について。

身体拘束とは、身体を拘束し行動を制限することで、簡単に言うと、体を縛ったり、手袋をはめたりするという行為である。

 

訪問に同行してみると、鼻から管を通して栄養を摂っている寝たきりの高齢者がそこにいた。

 

その高齢者の手にはプラスチックの手袋がはめてある。

どうしてプラスチックの手袋をつけているのかと言うと、患者が鼻の管を抜かないためである。

 

これは日本で言ういわゆる「身体拘束」である。

日本では介護保険上で特に身体拘束を行うことに関しては厳しくうたわれているのだが、タイが制度として身体拘束に関する事項があるかどうかはわからない。

 

ただ、私が個人的にその手袋をすぐに外してあげたいと感じるのは、制度がどうこうより本人が辛いと思うからである。

 

もちろん、鼻の管を自分で抜いてしまう事で誤嚥したり、様々な危険性もあるため家族としては手袋をはめていた方がいいという気持ちも多少わかるのだが。

 

単純に考えて、本人が鼻の管を抜こうとするのは違和感があって嫌だからだろう。

それに一日中プラスチックの手袋をはめるのは、自分なら嫌だ。

 

経管栄養

経管栄養について。

 

経管栄養とは、口から食べることのできない人に対してそれに代わる摂取方法で、鼻から胃や腸に穴を空けて管から摂取する方法である。

 

また別の家に訪問した際に、鼻の管から栄養を摂っている人がいたのだが、鼻の管の交換の場面を見ているとなんとも苦しそうだった。

 

この日は、管を鼻から入れて胃まで通すのになかなか時間がかかり、その度に涙を流しながらうなり声をあげむせるその患者を見ているとこちらも苦しくなってきた。

 

そもそも口から食べられないから仕方なく鼻から栄養を摂取するのだと思う。

しかし、私が日本の病院で勤めていた時には、最初は鼻から栄養を摂取していた人でも再度、口から食べることができた人を見てきた。

 

そのことを思うと他の摂取方法がないものだろうかと考えてしまう。

 

実際、胃カメラ検査で胃まで管を入れる行為を経験したことはあるが、自分なら鼻に管を入れられるのはいやだ。

 

しかし、口から食べる機能が低下した人に口から食べさせるのもリスクはあり、できれば言語聴覚士という専門の嚥下機能を確認できるスタッフが診て本当に口から食べられるか判断できればいいのだが、タイでは圧倒的にこの言語聴覚士の数が不足しているようだ。

 

単純に解決できる問題ではないように思えた。

一応、タイでも胃ろうの患者はいるようだが、地方の小さな病院では何かあった時の対応ができないため、勧める事は少ないようである。

 

衛生環境

また別の家に行くと、その家の中はホコリまみれだった。

寝たきりの高齢者が生活する部屋までは台所を通り、3階まで上がったのだが、その途中ずっと片付けられていないゴミの山が散乱していた。

 

蜘蛛の巣もところどころにある。

 

外から見ると大きな建物だったが、かろうじて人一人が通れる通路があるだけの中である。

 

タイでは日本と同じように、室内に入る時は靴を脱ぐのだが、脱いで部屋を歩くのを正直ためらうほどのゴミ屋敷だった。

 

どうやらこのゴミの山には理由があったようだ。

 

介護力

部屋のいたるところにゴミが散乱しているホコリまみれの家には、寝たきりの父親、知的障がい者の息子、娘の3人暮らしのよう。

 

娘さんは、「女一人しかいないこの家でとても部屋を片付けることはできない」と、嘆くように言っていた。

 

寝たきりの父親、重度の知的障がいの兄と一緒では毎日の暮らしがやっとなのだろう。

 

この家族に対して自分ができる事はなんだろうかと考えようと思ったが、何をしてもうわべなだけな気もするし、長期的に考えないとこの家庭に対しての「支援という形は難しい」と感じた。

 

とりあえずこの家には、父親の様子を見るために月1回オーソーモーと言われる保健ボランティアが訪問することとなり、この家族とのつながりは続きそうだ。

 

寝たきりの高齢者自身だけではなく、その周りの家族も含めた支援が必要な状況は日本と同じだと感じた。