30代おじさんJICA海外協力隊でタイ生活

30代後半から海外転職を考え辿りついたJICA海外協力隊。海外ボランティアとしてのタイの2年間の記録。

タイの病院で驚愕の避難訓練

 

先日、所属先の病院で避難訓練が実施された。

避難訓練といえば、みなさん学校や職場で経験したことがあるだろうが、タイのそれは訳が違う。

まず、丸2日間に渡る避難訓練は、座学と実践が合わさった一大イベントなのだ。

そしてそれは、一つのエンターテイメントだった。

病院が火の海!?

1日目は、午前中に消防隊員からの座学が行われた。

 

火の回り方が・・酸素量が・・・、意外と専門的な化学知識が必要な講義で、タイ語だと尚更その内容を理解することが困難だった。

 

あと、どうやら消化器には3種類あって色が違うらしい。

 

日本に緑の消化器なんてありましたっけ!?

 

午後からは、消火訓練。

実際に、病院の駐車場にて炎を作り出し、職員が消化器で消火の実践を行うというもの。

この時期、タイは真夏で40℃近い暑さの中、さらに燃え盛る炎は暑さを増した。

 

真っ赤な炎と黒煙の中、職員は懸命な消化活動を行っていた。

 

一歩間違えば、病院に引火するのではと思うほどの炎の量を見てもさすがタイ。

 

実際により近い形で訓練するのである。

しかし、感想を一言で言うとすれば、「熱い」。

 

このタイで一番暑いとされる暑期にやらなければいけないのかと思うほど熱い。

 

でも、実際の火災なんて時期は関係なく起こるものなのだから、これもまた訓練なのだろう。

 

5階から飛び降り、救出

2日目は、放水車が出動。

 

実際に病院に水をぶっかけます。

 

それから病院内から外へ逃げ出すまでの一連の流れを訓練。

 

これがまたタイらしく、リアルを追求するのか楽しむのか、まず怪我人メイクを施します。

 

傷だらけだったり、すすだらけだったり、この見た目重視ですべて楽しいイベントと化してしまうこれこそがタイ人なのだと思い知らされます。

 

実際に救急車も出動します。

 

救急車に運ばれる患者役もまた迫真の演技でぐったり感をだしたり、酸素をしたり。

 

一番見ていて怖かったのは、5階からロープをつなぎ、ストレッチャーをロープで括り付けて下りたり、ジップライドのように滑り降りてきたり。

 

私が日本の病院で勤務していた頃は見たこともない光景に終始驚きでした。

 

よく言えば、この方式はリアルに実践をできる感覚を養えるのでしょう。

 

日本との違いですね。

海外協力隊の成功体験 一人でできないことも二人ならできる

 

先日、タイに派遣されている隊員と共に、小学校で日本の文化を伝えるイベントを行った。

 

これまで、自ら所属先に提案してイベントを行ったことが無かったので、今回初めてイベントを主催するという経験ができた。

 

といっても、その他の隊員が企画したものを、自分の任地で行うために場所を調整しただけなのだが。

 

タイの小学校をけん玉で盛り上げる

その隊員と、けん玉を子どもたちに体験し楽しんでもらうイベントを企画した。

 

小学校総勢53名。けん玉13個。

 

その隊員は「子どもは他の人がやっているのを待てなくてすぐに飽きるから」と言っていた。

 

けん玉の数が足りないのは明白だったので、子どもたちがあきないようにと事前に紙コップでけん玉を一人で黙々と60個ほど作ってきた。

 

これがまた、当日は生徒のみならず、学校の先生やその場にいた保健ボランティアにもウケが良かった。

 

今の自分にできる事はこのようなイベントくらいだったので、子どもたちが飽きないで時間を過ごせたという事実、それはほんと良かったと思う。

 

紙コップけん玉をする子供たち

紙コップけん玉をする保健ボランティア

紙コップけん玉をする先生たち

当日は隊員の独壇場、自分はただただ写真や動画の記録係だった。

 

何より彼女はタイ語でしきり、説明、盛り上げどころを作って来ていたので、自分の出る幕はなかったとも言える。

 

いや、出る幕があっても用意していない言葉をタイ語で説明することは困難だっただろうが。

 

しかしその中でも、けん玉とギターのセッションは自分が前に出る機会だった。

 

けん玉とギター うさぎとかめセッション

これもまた、一度もリハーサルせず、当日チョチョッと打ち合わせてできたもので、なかなか二人ともやるなぁと自分も隊員もほめてやりたい。

 

子供たちはけん玉を練習し、そしてみんなの前で披露。

 

最後にはゲームとして、チーム対抗早けん玉入れも行った。

 

どれもこれも反応良好、やはりこれまで様々な場所でこのけん玉イベントを行ってきた隊員の力だろう。

 

でも、隊員と自分の二人がいてこそ、こので学校行えたイベントとも言えるので、疲労感もあったがこの日はすごく高揚感を持てた一日だった。

 

その後、文化交換ということで、小学校側からもタイに伝わるターレオという伝統編み物を子供たちから教わり、実際に自分たちで編んだ。

 

これでイベント終了!とおもいきや、学校からの昼食のおもてなし付き。

 

なんともありがたい、自分たちから提案して学校にイベントを持ちかけておいて、こんなにもてなされるとは。

 

一人だとできなかったであろうイベントだが、誰か隊員が加わることでその活動に大きく幅を広げられて、非常に充実した日だった。

 

イベントを無駄に大きくする能力

もう一つ、この活動を行う上で感じたことがある。

 

所属先には2か月前から、今回の活動についての打診をしており稟議書も書いていた。

 

もし、この学校に行くなら学校にも事前に伝える必要があるし、車で20分かかるため運転手も必要である。

 

その連絡がちゃんと行われるのかと言う一抹の不安を最初から抱えていた。

 

2週間前になった頃、所属先のカウンターパートにこの活動の話をしたら、そこからようやく学校に連絡しようとしたのだ。

 

日本であればあまり考えられないことだろう、2週間前に小学校に連絡して授業を削って外部から来た者の活動を割り込む、何てことは時間的に遅すぎる依頼だと思う。

 

ただ、一年この地に住みタイ人が行う仕事の環境を見てきたので、この状況は想定済みだった。

 

1か月半前には、学校の校長代理へ自ら連絡をし、活動の内容と希望の日にちを確認しておいたのだ。

 

これくらい根回しをしておけば、あとは当日の運転手さえいれば何とかなる!

 

そう思っていたが、1週間前、急にカウンターパートに連れられて行ったのは学校がある自治体の事務所で、そこで自治体長に挨拶、活動予定の内容を伝えることになったのだ。

 

最初、病院と学校間のやりとりだけでいいのでは?と思ったこの活動だったが、結局カウンターパートは当日自治体長も学校に呼び、盛大なイベントに仕立てたのだ。

 

よく言うと盛り上がったと言える。

 

ただ、違う捉え方をすると、日本人ボランティアの派遣を打診したからこそ、この学校での活動ができているんですよという、病院から各所へのアピールにも見えた。

 

もしかしたら、調整の段階で感じた不安は余計だったのかもしれない。自分が知らないだけで、2週間前に連絡をしてもどうにでも授業内容は変えられたのかもしれない。

 

でも、これまで日本で生きてきた中で、そんな調整は自分には不安でしかなかった。

 

なんか病院に手柄を横取りされていないか?なんて、1年いるとだんだんひねくれた解釈も出てくる自分が悲しくもあるのだが。

タイに住んで1年の報告とタイ最大級スラムに行って感じた貧困

海外ボランティアとしてタイに来てから1年が経つ。

 

1年前と言えば、タイでもコロナの影響がまだ色濃く残っていて、観光客はほとんどおらず、人気の観光地も閑散としていたものだ。

 

今回、1年経過したということで、中間の報告をするためにバンコクへ上京した。

 

バンコクの観光地 ジムトンプソンの家の現在

久しぶりにバンコクへ行くと、1年前とは比べ物にならないほど、人(観光客)が多くてコロナ前の賑わいに戻っているように感じる。

 

1年というのは、それだけ時代の変化を感じられる期間なのだ。

 

隊員達の前で中間報告

現在タイに派遣されている隊員は23名。

 

隊員その他、JICAタイ事務所や他機関の方も出席の中、この1年間の活動を報告した。

まぁ、20分の持ち時間に1年のすべてを伝えるのは難しかったが、おおむね好評を得た報告だったので安心した。

 

報告内容を簡単に言うと、日本にいる時から思い描いていたほどうまく行かないことが多いのだが、それでも、色々もがいていれば小さなことでも結果が付いてくるということだ。

 

前向きにできる事が何か一つでもあれば、それは自分の存在の意味があったと思うことにしている。

 

と、いろいろ考えたり感じたりできるのが海外協力隊なのだが、報告会で数か月に1度集まる度にいつもいろいろな刺激がある。

 

日本に住んでいるだけでは感じられない「マイノリティ」としての存在を言う隊員もいる。

 

日本にいた時に比べて体調を整えるのが難しくて、食生活等を工夫している隊員もいる。

 

悶々として思うようにいかない毎日を送っていると言う隊員もいる。

 

みんな、いろんなことを感じ、いろんな経験をし、貴重な毎日を送っている。

 

自分は、もう住んでいるだけで影響を与えることができているとさえ感じている。

 

そこで、日本人が自国の言語でなんとか会話し、コミュニケーションを取ろうと奮闘している、その姿を見せるだけでも、その地域に影響を与えているのではないかと。

 

人の考え、環境を大きく変えるのは難しい。

 

でも、一人を笑顔にすることは、いちボランティアでもできるのではないか?そんなことを考えながら生活している。

 

タイ最大級のスラム街見学

今回のバンコク上京では、タイの社会を改めて考える機会もあった。

 

タイで一番大きいとされるスラム街クロントーゥーイ地区の見学だ。

 

シーカーアジア財団という団体が、この地区の支援を行っている。

 

詳しくはこちら:シーカー – シーカーアジア財団 (sikkha.or.th)

 

印象としては、スラム街と言えど労働して賃金を得て、賃貸住宅に住んでいるという構造の家庭がほとんどなのだが、その密集している住環境や、タイ人以外が住んでいる状況など、いろいろ考えさせられるところもあった。

家の造りを見れば、自分の住んでいる地域の隣とかも似た構造なのだが、狭い路地がたくさんあって迷路のようであり、その地区に住む人しか入れない学校があったりと、いろいろタイの社会構造を勉強できた。

この地区におよそ10万人が住んでいるという。

実際に2人の住人に話を聞いた限りは、この地区から引っ越したいという希望はなかった。

貧困と幸せ。

自分たちとは価値観が異なっているのかもしれない。

タイ料理に飽きた!タイの田舎でも意外と多国籍料理が食べられる件

タイ料理に飽き始めた移住10か月

タイの地方に住んで10か月余り、最初からこの田舎に来たらほぼ毎日タイ料理ばかりになるんだろうと思っていた。

 

はじめは、毎日出現する目新しい道端の屋台に心を踊らされたが、長く住むと少々飽きだしている。

 

タイ料理は世界的にもおいしいことで知られていて、自分もこれだけおいしい物を食べられているのだから幸せだと思う。

それでも飽きる時が来るのは、やはり日本人だからなのだろう。

他の国に派遣されている隊員のほとんどは自炊生活なようで、インスタグラムを見るとよく日本食を作っている様を見る。

自炊は大変かなぁと思う反面、好きな時に食べられる日本食はうらやましくもあった。

 

見つけた!タイ料理以外の食べ物集

住む町にも大分慣れ飲食店を新規開拓していくと、これまで知らなかった場所でこんなモノ食べられたのかぁという発見がある。

 

やはり、動かなければ、周りは見えない。

 

半径500mで過ごしていては、景色の幅が狭まるのだ。

 

ここ1週間で食べたものを並べてみた。

1.和食

日本で有名な定食チェーン店、『やよい軒』がタイにも進出している。

 

その味も日本のそのものであり、また、地方の街にも進出してくれていて、非常に重宝している。

 

天ぷら、茶わん蒸し、味噌汁・・・日本クオリティがタイで食べられるとは。

 

2.台湾蒸しパン

 

この日曜日は、旧正月だったこともあり、辺りは中華一色だった。

 

普段はお目にかかれない蒸しパンがあったので思わず買ってしまった。

 

ふわふわのパンが実はタイではあまり食べられないので、なんか久しぶりな感じでうれしくなった。

 

ただ、タイの特徴、しっかりと甘い!

もうちょっと甘さ控えめでもよかったなぁ・・。

 

3.ロティトート

 

ロティとはクレープのような生地にバナナ等いろいろ包めて食べたり、甘いシロップで食べたりするインドやパキスタンなどイスラム圏でたべられる料理。

 

タイの南部地域にもイスラム教の方はいるためか、それなりにロティの店がある。

 

この揚げたロティもまた、おやつとしておいしく食べられる逸品。

 

4.パクテー

 

パクテー(肉骨茶)はシンガポールやマレーシアで食べられる料理。

 

朝ごはんに提供している店があったので思わず注文した。

 

漢方なのかな?という独特の風味のあるスープは朝から胃をいたわってくれるような優しさもある。

 

スープにしみ込んだ肉をかぶりつくのもまた面白い。

もしこのメニューがあったら、頼んでみてほしい。

5.ステーキ

 

実はタイの田舎ではあまり洋食屋を見かけない。

 

その中で、探索して見つけたステーキが食べられるお店!

 

地元民で満員のお店は、やはりうまかった!

 

シンプルな料理がうまいのは、味付け?これは通いたくなるお店。

 

6.ケバブ

 

ケバブ屋台を発見。

 

探せばいろいろな店があるものだ。

 

鶏と牛から選べる。

 

ちなみに、このお店のお姉さんは、阪神タイガースファン?なのか阪神タイガースのユニフォームを着ていた。

 

と、この地域に住んで最初のころは、タイ料理ばっかりと思っていたけれど、歩けばいろいろな店があったし、また新しい景色が見えてくる。

 

田舎に住んでいても、楽しみを見つけられながらなんとか生活している。

タイの正月って!?一年タイ生活をしてみて・・・

海外で迎える初の正月

これまで毎年、正月と言えば実家でおせち料理、お雑煮、手巻き寿司・・・と、実に日本らしい正月を過ごしてきた。

 

今年は海外で迎える初めての正月だった。

タイの正月はどんなものかというと、日本のように盛大なお正月モードではなかった。

タイには3回の正月がある。

中国の旧正月を祝う文化もあり、ソンクラーンというタイ最大の正月もある。

 

なので、日本で言う正月のような、新年を迎えましたよー!レベルで特に盛り上がりもなかったように感じる。

 

一応、元旦は休みだが2日からは通常出勤みたいだし(今年に限っては1日が日曜日であったために、2日も振替休日となったが)。

 

そんな正月だが、自分は居住する県内にあるサムイ島というところで隊員達と過ごした。

 

サムイ島と言えば、有名な観光名所でありたくさんの外国人が訪れるところである。

 

訪れた年末年始も、タイ人より欧米の外国人の方が多いと感じるほどだった。

そんな島の正月は、かなり海外観光客向けにあると感じた。

 

目の前、直ビーチのレストランで食事をし、生バンドの演奏を聴きながら、海に向かって打ちあがる花火を観て新年を迎える。

 

まさしく欧米ノリの周りにいる人も含めて、その光景を見ると、もうここはどこの国だかわからないくらいだった。

 

この正月はおせちではなかったが、海外協力隊として約1年を過ごしてきたご褒美だと思うくらい、おいしいし、きれいだし、楽しいしという日本とはまた違った正月を過ごせた。

2022年海外協力隊活動振り返る

2022年2月にタイに来てから約1年が経過した。

 

振り返れば早かったと感じる。

 

特に何かを成し遂げた感はないのだが、自分の人生の中で1年間を海外で過ごすなんてなかったので、貴重な機会だと思うし、それだけでも達成感はある。

 

日本語を話す人などいない環境で試行錯誤しながら、自分の思いを伝えることもままならないままの生活。

この国になにかを残そうとか言う前に、この国での健康に生活していこうが先に来るような環境。

 

そこから、ようやく自分の経験が地域の人々の役に立てるのはどんなことか考えられるようになり、徐々にタイ語でのコミュニケーションを取れるようになった。

 

日本にいた時は、この国に何か形として成果を残そう!なんて大きな目標を胸に来たけれど、結局、自分を関わりを持った一人でも多くの人が笑顔になれればそれでいいのではないかと、ただそれだけの目標に軌道修正した。

 

この軌道修正は、自分の目標に負けたわけではなくて、その考えにたどり着いた成長なのだと考える。

 

また、「成果」は人と比べるべきではない!と、この海外協力隊生活でよくよく思う。

周りを見ればうらやましいし、自分は何もできていないと思うし、いる意味なんてないと思うし。

 

隊員同士で旅をした今回の年末年始でそういったことを語り合うのも、また、見つめ直すいい機会だった。

「ボランティア一人が何かを変えられることなんてほんのちっぽけなことかもしれないが、関わった一人の人生に少しでもきっかけを与えられたら、それで自分が派遣された意味があるのではないか」

 

初日の出を見ながら隊員の言葉に胸を強く打たれた。

 

この一年、この国を変えるなんて大きなことは言わない。

 

一人でも関わったタイ人が笑顔になれたらな、それだけでいいと思う。

 

タイの寝たきり高齢者宅を訪問して思う事

 

高齢者宅を訪問することで見えるもの

気が付けばタイに来てから200日が経過していた。

もう半年以上も海外生活を送っているんだと改めて物思いにふける今日この頃である。

 

現在、私はタイのコミュニティ病院で、地域の健康や衛生に関することを対応する部署に所属している。

 

南部の地方にある割と田舎なこの地域には、看護や介護が必要な寝たきりの高齢者もたくさんおり、定期的に看護師等が家を訪問している。

 

その訪問看護の現場に同行することで、タイの高齢者介護事情についていろいろと感じることがあったので伝える。

 

身体拘束

まず、身体拘束について。

身体拘束とは、身体を拘束し行動を制限することで、簡単に言うと、体を縛ったり、手袋をはめたりするという行為である。

 

訪問に同行してみると、鼻から管を通して栄養を摂っている寝たきりの高齢者がそこにいた。

 

その高齢者の手にはプラスチックの手袋がはめてある。

どうしてプラスチックの手袋をつけているのかと言うと、患者が鼻の管を抜かないためである。

 

これは日本で言ういわゆる「身体拘束」である。

日本では介護保険上で特に身体拘束を行うことに関しては厳しくうたわれているのだが、タイが制度として身体拘束に関する事項があるかどうかはわからない。

 

ただ、私が個人的にその手袋をすぐに外してあげたいと感じるのは、制度がどうこうより本人が辛いと思うからである。

 

もちろん、鼻の管を自分で抜いてしまう事で誤嚥したり、様々な危険性もあるため家族としては手袋をはめていた方がいいという気持ちも多少わかるのだが。

 

単純に考えて、本人が鼻の管を抜こうとするのは違和感があって嫌だからだろう。

それに一日中プラスチックの手袋をはめるのは、自分なら嫌だ。

 

経管栄養

経管栄養について。

 

経管栄養とは、口から食べることのできない人に対してそれに代わる摂取方法で、鼻から胃や腸に穴を空けて管から摂取する方法である。

 

また別の家に訪問した際に、鼻の管から栄養を摂っている人がいたのだが、鼻の管の交換の場面を見ているとなんとも苦しそうだった。

 

この日は、管を鼻から入れて胃まで通すのになかなか時間がかかり、その度に涙を流しながらうなり声をあげむせるその患者を見ているとこちらも苦しくなってきた。

 

そもそも口から食べられないから仕方なく鼻から栄養を摂取するのだと思う。

しかし、私が日本の病院で勤めていた時には、最初は鼻から栄養を摂取していた人でも再度、口から食べることができた人を見てきた。

 

そのことを思うと他の摂取方法がないものだろうかと考えてしまう。

 

実際、胃カメラ検査で胃まで管を入れる行為を経験したことはあるが、自分なら鼻に管を入れられるのはいやだ。

 

しかし、口から食べる機能が低下した人に口から食べさせるのもリスクはあり、できれば言語聴覚士という専門の嚥下機能を確認できるスタッフが診て本当に口から食べられるか判断できればいいのだが、タイでは圧倒的にこの言語聴覚士の数が不足しているようだ。

 

単純に解決できる問題ではないように思えた。

一応、タイでも胃ろうの患者はいるようだが、地方の小さな病院では何かあった時の対応ができないため、勧める事は少ないようである。

 

衛生環境

また別の家に行くと、その家の中はホコリまみれだった。

寝たきりの高齢者が生活する部屋までは台所を通り、3階まで上がったのだが、その途中ずっと片付けられていないゴミの山が散乱していた。

 

蜘蛛の巣もところどころにある。

 

外から見ると大きな建物だったが、かろうじて人一人が通れる通路があるだけの中である。

 

タイでは日本と同じように、室内に入る時は靴を脱ぐのだが、脱いで部屋を歩くのを正直ためらうほどのゴミ屋敷だった。

 

どうやらこのゴミの山には理由があったようだ。

 

介護力

部屋のいたるところにゴミが散乱しているホコリまみれの家には、寝たきりの父親、知的障がい者の息子、娘の3人暮らしのよう。

 

娘さんは、「女一人しかいないこの家でとても部屋を片付けることはできない」と、嘆くように言っていた。

 

寝たきりの父親、重度の知的障がいの兄と一緒では毎日の暮らしがやっとなのだろう。

 

この家族に対して自分ができる事はなんだろうかと考えようと思ったが、何をしてもうわべなだけな気もするし、長期的に考えないとこの家庭に対しての「支援という形は難しい」と感じた。

 

とりあえずこの家には、父親の様子を見るために月1回オーソーモーと言われる保健ボランティアが訪問することとなり、この家族とのつながりは続きそうだ。

 

寝たきりの高齢者自身だけではなく、その周りの家族も含めた支援が必要な状況は日本と同じだと感じた。

 

タイの幼稚園 効率と私立で違うのは!?

 

最近、タイの幼稚園に訪問することがある。

その中で公立の幼稚園と私立の幼稚園、両方とも訪問する機会があり、双方を比べてみるといろいろ気が付くことがあったので考察する。

整列に見るタイの公立幼稚園と私立幼稚園の違い

日本では公立の幼稚園であれば「自由でのびのび」、私立の幼稚園であれば「独自の幼児教育」といったイメージであるが、簡単に言うとタイでも同じことが言える。

公立の幼稚園では、自由に走り回り遊んでいる子どもたちが目に付く。

私立の幼稚園では、例えばボールとカラーコーンを使って目的に沿った運動を行っているのを見た。

私が、幼稚園に訪問しているのは衛生教育のためで、一人一人に体を清潔に保てているか爪の長さや形、耳垢、虫歯、頭のダニやシラミ、皮膚アレルギー等があるかないかを診ていく。

一人一人を診ていくために整列してもらうのだが、その整列に公立と私立で差が出ているなぁと感じた。

公立の場合、自由でのびのびと育っているがためか、幼児が規律を守った整列をするのはなかなか難しいように見えた。

何度か先生が呼びかけることでようやくなんとなくまっすぐに並ぶことができるのだ。

そしてあまり待てない。

一方、訪れた私立の幼稚園は、先生の一言できちんとした整列(日本で見るような)や一同で声をそろえた感謝の言葉「ありがとうございました」などは揃って言うことができる。

教育の差がどこにあるかは短時間訪問しただけでは計り知れないが、一つに先生の能力にも関係しているように見える。

この私立幼稚園では、幼児期からの英語教育も行われているようで、それにはしっかりとした英語教員がいるという事である。

中には、タイ語はほとんど理解できず、英語だけを話せるという子どもがいるのだが、それでも受け入れられるのが私立なのだと思う。

日本人にできてタイ人にできない?

幼稚園を訪問していて思い出したのは、以前、村の小学校を訪問した時に先生が、「日本人はきれいに整列できて素晴らしい。タイの子はなかなかきれいに整列できない」と言っていたこと。

この先生が教えているのは公立の学校である。

「タイ人はできない」のではなく、公立と私立の教育の差によって「整列ができない」ことが生じるのかなと、改めて思った。

どちらが良いとか悪いとかではない。

公立ののびのびとした雰囲気で学ぶ教育も自分は好きだ。

公立か私立かを選ぶにはやはり金銭面が関わってくることなので、やはり「教育=お金が必要」と感じざるを得ない。

親にお金があれば高度な教育を受けられて収入の高い職業に就きやすい、親にお金が無ければ基本的な教育は受けられるが就く職業は限られてくる。

これが途上国の貧富の差が連鎖する理由なのかなと改めて思う最近である。