30代おじさんJICA海外協力隊でタイ生活

30代後半から海外転職を考え辿りついたJICA海外協力隊。海外ボランティアとしてのタイの2年間の記録。

タイに住む首長族に会ってみた!

首長族は決して見世物だとは思わない!

首長族の村に行き、村で生活状況を見て、彼らと話した結果、私はそう思った。

チェンマイの奥地で暮らす首長族の実態

先日、タイのチェンマイに行った。

目的はボランティア隊員がチェンマイに住んでいるため、そのボランティアの活動先を訪問することである。

チェンマイで行きたかった先の一つが首長族の村である。

幼少期(30年以上前)にテレビで見た、「首に輪っかを着けた遠い国の人達」の光景は今も忘れることがない。

そんな初めて感じた海外の、その人たちに会える機会があるならと、首長族が暮らす村にへ行くことにした。

事前に調べた口コミでは、評価が低い。

・入場料500バーツ(約2000円)は高い

・お土産物を売っているだけ

・作られた笑顔だ

など、一回行ったら十分だという口コミが多数みられる。

500バーツ(約2000円)を払い村の中へ入ると、そこは長閑な景色が広がり、静かな空間にお土産物屋が立ち並んでいた。

その土産物はほとんどどの店も一緒の物を売っている。

積極的にコミュニケーションを取り、買うように勧めてくる人はいなく、商売っ気は無い感じである。

ただ、観光客が声をかけ写真を撮ろうとすると素直に応じてくれる。

村の中はゆっくり周っても30分ほどで見れてしまう広さである。

ここまでで思うのは、お土産物を見て、写真を撮って帰る。のであれば、確かに500バーツ(約2000円)を払うのは、高いと感じるかもしれないということ。

しかし、自分が考えるのは、この村から何を感じ取るのかということだ。

ただの観光地以上の何かを感じる大人の修学旅行

一人の女性に話しかけてみた。

すると、彼女は日本語を少し話せることが分かった。

さらに彼女は「600は日本語で何て言うの?」と聞いてきた。

ここで旅人の日本人による首長族への日本語授業が始まった。

どうやら彼女は、語学に興味を持っているようで、外国人とのコミュニケーションに対する壁はないように感じる。

彼女といろいろと話してみると、無垢な笑顔や探求心は村の外に居るタイ人と変わらないように思う。

決して見世物としてこの村でネガティブに生活している感はなく、観光業を生業として異文化コミュニケーションもできるこの環境での生活に誇りを持っているように思えた。

昨今のコロナウイルスの影響による観光客の減少などについても話した。

様々なことを感じることができるのは、私がタイ語を話すことができたからだと思う。

観光できて、あまり言葉が通じない中で(少しの英語は話せるようだが)、ただの買い物と写真を撮るだけであれば、やはり高いと思うのかもしれない。

ただ、辺りを見渡すだけでもいろいろ感じることができる。

日本人からすれば、この村は昭和初期の様な光景だろうが、みんなスマートフォンを持っているし、子ども達はそれで動画を観たりゲームをしている。

地面に三角座りをして村人通しでおしゃべりしていても観光客が来ればそれを止めて立ち上がるし、横になっていても、観光客が来ればムクッっと急に起き上がる。

首長族という体裁を保つための努力を見ると、村に住む自分自身が観光名所であるということをずっと意識しているように見える。

いろいろ感じることができるのだ。

ここまで書いていて言うのも何だが、この感覚は自身で体感してもらわないとわからないかもしれない。

この観光地に500バーツは高いのか?首長族は見世物なのか?

一度足を運び確かめてもらいたい。

私は、このいろいろな学びや気づきを与えてくれた彼らに対して払う500バーツの入場料は高いとは思はない。

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